穀物の種や芽を育てる雨が「穀雨」です。江戸時代に作られた『暦便覧』に「春雨降りて百穀を生化(しょうか)すればなり」と記されています。百穀とは人類が主食としてきた穀物のこと。米、麦、粟、稗、黍、豆といった種類があります。それぞれの気候の中で人々の命を支えてきたものばかりです。日本では何と言ってもお米が基本。農家ではまだ寒さの残る頃からすでに準備がされてきました。「穀雨」を迎えて農作業は本番へと入ります。
「穀雨」の田んぼは忙しい!!
四月、春の草花が咲き揃うようになると米どころは大忙しです。育苗ハウスを張ると、芽の出た稲の苗をこちらに移して育てていきます。田んぼでは、土を鋤き返して柔らかにし雑草を取り除く作業、耕耘(こううん)が行われています。これが終わると水を入れて代掻きです。土を砕いて掻きならすことで土が泥状になり、田んぼが水を保つことができるようになります。また肥料を平均に行きわたらせ、田んぼが平らになり田植えがしやすくなるということです。「代」とは植え代の意味で田植えをする区画のこと。場所を見つけては田んぼを作っていった、そんな努力が感じられる言葉です。一つ一つの作業が秋の稔りにむかって丁寧に進められているのがわかります。
≪隣田へ顔出てとまる田掻き馬≫ 今瀬剛一
なんとものどやかな光景ですが、現代ではトラクターが使われるようになり馬や牛の出番はなくなりました。かわりに響くエンジン音が今頃田んぼを活気づけていることでしょう。
≪まつすぐに草立ち上がる穀雨かな≫ 岬雪夫
暖かい春の雨が降る中、生まれ育まれるのは百穀ばかりではありません。野山では草木が芽を伸ばし緑を濃くしていきます。雨はうっとうしいこともあり、ちょっと暗いイメージがありますが、春に降る雨にはなにか明るさを感じます。二十四節気は「穀雨」をもって春を終えいよいよ夏へと向かいます。万物を育てる勢いをもつ「穀雨」に今年の豊かな稔りを祈ってまいりましょう。
忘れてはいけないのが晩春の「忘れ霜」
春も終わりになって降りる霜を「忘れ霜」と言います。四月も下旬に入ると心地よく過ごしやすい日も増えて、霜のことなどすっかり忘れてしまいがちです。そんな頃に降りる霜は、時として農作物に大きな被害をもたらします。育苗ハウスはこのような時期の霜対策にもなっているようです。稲の苗はハウス内で田植えまでたっぷりと水分を与えられながら過ごします。
いったい何時まで霜を気にしなければならないの? と不安になりますが古来「八十八夜の別れ霜」とも言われています。八十八夜とは立春から数えて八十八日目、今年は5月2日になります。これを過ぎればさすがに霜が降りることもなくなってくることから「別れ」としているのでしょう。他にも「名残の霜」や「霜の果」などの名前もつけられています。
≪みちのくに名残の霜の降る夜かな≫ 角川源義
春がやってくるのが遅い東北の「名残の霜」、思いがけない冷えこみにまだ「別れ」とは言い切れない情感が「名残」に込められているようです。夏への道は一気にとはいかないようですね。
牡丹の花が「穀雨」をしめくくります
「穀雨」の末候は「牡丹華(ぼたんはなさく)」です。花びらが重なり合うようにゆったりと大きく咲く華やかさで人を惹きつけ、「牡丹」は「百花の王」とも言われています。
≪くれなゐの光をはなつから草の 牡丹の花は花のおほきみ≫ 正岡子規
光を受けて輝く美しい牡丹が目の前に浮かんできます。子規らしいおおらかな歌いっぷりではありませんか。
日本にもたらされたのは平安時代と言われており、中国は東北の渤海(ぼっかい=深い海)から朝鮮をへてやってきたそうです。この由来から「牡丹」は「ぼうたん」の他に、深い海「ふかみ」から「深見草」として歌の世界で人気を博しました。
≪人しれず思ふ心はふかみぐさ 花咲きてこそ色に出でけれ≫ 賀茂重保
作者は平安時代後期の歌人。詞書に「夏に入りて恋まさるといへる心をよめる」とあり、恋する心の「深まり」を「深見草」に掛け、情熱を豊かに開く花の色に託して歌っていることがわかります。
「牡丹」の美しさは衣装にも取り入れられました。白を表に、裏に紅梅を合わせたものを「牡丹襲(ぼたんがさね)」と称して、十二単などの装いに生かして人々は楽しみました。春の終わりに華やかに開く「牡丹」の美しさは平安の人々を深く魅了したようです。
「穀雨」は春の季語ですが「牡丹」は夏の季語。春の終わりを高らか告げるように咲いて夏への橋を渡っていくようです。
参考:
『子規全集 第6巻 短歌・歌会稿』正岡子規 著(講談社)
『新日本古典文学大系 10 千載和歌集』片野 達郎 松野 陽一 校注(岩波書店)
『現代俳句歳時記』角川春樹 編(角川春樹事務所)
『日本国語大辞典』(小学館)