今年も半ばにさしかかりました。時の流れの速さに驚くとともに、こうはしていられないぞ! という焦りも感じます。六月といえばやはり梅雨、雨の季節です。この雨がなければ豊かな稔りも期待できなくなる大切な時。降る雨を恵みの雨ととらえれば、スッキリと晴れない日々に塞ぎがちになる心も元気になれるのではないでしょうか。「歳時記」をめくると人々が自然を観察しながら、地道に生きてきた努力と工夫の片鱗を感じることができるようです。
六月の雨を楽しみながら、梅雨の表情を観察しよう!
日本は海にかこまれた島国とよくいいますが、もっと広く眺めればユーラシア大陸の東の端に位置しており、気候も季節もこの大陸の影響を大きく受けて変化していることに気づきます。そのひとつが梅雨といえるでしょう。梅雨の期間はおよそひと月ですが、梅雨を表したことばを探してみるとその多さに驚かされます。ことばの数だけ人々の関心もまた高かったということでしょう。その中からいくつかを拾ってみました。
◎梅雨兆す(つゆきざす)
いよいよ梅雨が来る、と待ち構えて前触れを探しているような力強い挑みを感じます。
◎梅雨入り・入梅(にゅうばい)
梅雨の始まる日。この発表があると今年も梅雨に入った、とけじめを付けてもらったような気がします。
「今年は時序の正しき梅雨の入り」 高浜虚子
◎梅雨(つゆ・ばいう)
いよいよ本番です。およそひと月、雨の季節となります。その語源は梅の実の熟する頃の雨とも、黴が生えやすい季節に降る雨という意味から「黴雨(ばいう)」ともいわれています。
◎梅雨空(つゆぞら)
重く厚い雨雲が低くたれこめた空がこの時季の雨の表情を作ります。
◎梅雨しとど
来る日も来る日も雨が降り続けびっしょりと濡れるようすです。梅雨の重苦しさを感じます。
「家一つ沈むばかりや梅雨の沼」 田村木国
◎五月雨(さみだれ・さつきあめ)
日本では梅雨の雨は長くこちらが使われてきました。陰暦の五月に降る長雨のことです。稲作にとっては大切な雨です。
「空も地もひとつになりぬ五月雨」 杉風
「五月雨や天下一枚うち曇り」 宗因
◎空梅雨(からつゆ)
年によっては晴れの日が続いて雨の降らない梅雨もあります。作物への被害また水不足による生活の不安など重大な問題となります。
「百姓に泣けとばかりに梅雨旱(ひでり)」 石塚友二
◎梅雨時(つゆどき)
梅雨の間中で一番よく使われることばかもしれません。「梅雨時だから生ものには注意して」とか「梅雨時は外出の予定が立てにくい」など生活と天気は関係が密接です。梅雨のうっとうしさがみえてきます。
◎梅雨寒(つゆさむ・つゆざむ)・梅雨冷(つゆびえ)
降り続く雨で気温が下がってくると肌寒さを感じる日もでてきます。こんな時はひと工夫でティータイムも心豊かになれそうです。
「梅雨寒の紅茶に落とすブランデー」 入江陽
◎梅雨籠(つゆごもり)
降り続く雨に外出もままならず、家にとじこめられてしまってはどうにもなりません。そんな時は降る雨を眺めながら静かに時を過ごしてみるのもひとつです。あれこれと思い浮かんでくることに向き合うチャンスかな、とじっくり取り組み、考えをめぐらせていれば新たな智恵も見つかるかもしれません。
◎梅雨明け
止まない雨はない、といいながら誰もが待っています。南から北へとつぎつぎに宣言されていけば、季節は夏に突入です。
「梅雨明の天の川見えそめにけり」 加藤楸邨
雨の季節はほんの数週間ですが、空もようや雨の降り方、気温の変化など「梅雨」の表情から、感性細やかに多くのことばが生み出されたことに気づきます。梅雨時のメールや手紙にひとつふたつ使って、季節を伝えてみるのも素敵ではありませんか。
田植えを終えた水田は美しい!
かつて田植えは地域ぐるみの大きな農作業でした。多くの人手が必要であっただけでなく、共同用水を効率的に使っていくという意味もありました。また苗代で育てた苗は成長に合わせ一気に植えていかなければならない事情もあり、地域の集落が協力していっせいに行われました。親戚縁者はもちろん近隣集落の人が結束し、また時には早乙女を雇うなど、大勢で互いの田を植え合う、それが田植えでした。
広がる水田に響いたのは田植え歌です。苗を一定間隔を空けてひと株ずつ移し植える作業は単調になりがちです。田植え歌はそんな作業を活気づけました。リズムをとり掛け声をかけあって、心を一つにして働く励ましの歌だったことでしょう。お互いの労をねぎらい田植えが終わればお酒や餅、おはぎなども振る舞われる賑やかなお祭りだったということです。
作業の大変さは変わりませんが、機械化された現代ではもはや見られなくなった情景のようです。田植えを終えた水田に、整然とならぶ苗が風にゆれる美しさは、今も変わりありません。緑濃くなった里山を背景にした田植えの田園風景は、誰の心にも懐かしさを覚えることでしょう。
今年も半分が終わろうとしていますが、あわてずにまずお祓いを!
古来、宮中では六月と十二月の晦日には祓えの行事が行われてきました。六月の祓えの行事が「水無月祓(みなづきばらい)」です。邪神を祓い和(なご)む意味とも、あるいは穏やかに夏が越せますようにとの願いを込めて「夏越の祓(なごしのはらえ)」になったともいわれています。
夏にかけて湿気が多く疫病も起こりやすかったことから、この時期を無事に過ごすことには大きな関心があったことがわかります。平安時代の和歌にもこのように歌われています。
「水無月の なごしの祓えする人は 千とせの命 延ぶといふなり」 よみ人知らず
ひとりひとり茅麻の幣(ちょまのぬさ)で身を祓い清めたり、身体を撫で清めた人形(ひとがた)を川原に持って行き祝詞をとなえるなど、お祓いのやり方はさまざまです。神社では参道に浅茅で大きな輪をしつらえ、参詣に来た人はこの輪をくぐり抜けるだけで誰でも気軽にお祓いができる、という楽しい工夫もされています。
医療の発達した現在ではそれほど意味を持たないかもしれませんが、一年という長さを考える時ここで一息ついて、心と身体を整えるのはなかなかいいアイデアだと思いませんか。
六月が過ぎれば、今年もいよいよ後半へ。夏の炎天あってこその秋の稔りを思えば、これからが充実の頑張り時となります。六月とは、そのためのエネルギーをしっかりと溜めておく時、そう思えるのです。
参考:
倉嶋厚・原田稔編著『雨のことば辞典』講談社学術文庫
『角川俳句大歳時記』角川学芸出版
『ホトトギス俳句季題便覧』三省堂