立春をすぎてすぐの早春・2月8日。正岡子規の正当な継承者とも、農民文学の旗手とも呼ばれ、将来を嘱望されつつも大正四(1915)年のこの日は、36歳の若さで咽頭結核で亡くなった歌人・小説家の長塚節(ながつかたかし)の忌日にあたります。※一部ネタバレを含みます
短歌、短編小説を経て…日本文学史上の白眉の傑作『土』成る
長塚節は、明治十二(1879)年4月3日、茨城県岡田郡国生村(現:茨城県常総市)の豪農の長男として生まれました。2歳で百人一首をそらんじるなど文学的な天賦の才を発揮し、15歳頃より本格的に和歌の創作をはじめています。
脳神経衰弱で茨城尋常中学校(現在の県立水戸第一高校)を退学後、文壇・歌壇に賛否の物議をかもした正岡子規の和歌(短歌)論『歌よみに与ふる書』(1898年)に感銘を受け、子規根岸庵に正岡子規を訪ね、門弟となりました。
子規が早逝する頃には後に『野菊の墓』を著す伊藤左千夫とともに、子規の短歌部門での後継者と目されるまでになります。当時、与謝野鉄幹、晶子夫妻の主宰する浪漫主義の文芸誌『明星』に押されて振るわない根岸短歌会でしたが、伊藤左千夫の剛腕によって『馬酔木(あしび)』が創刊、『アカネ』『阿羅々木』を経て『アララギ』へと結実し、斎藤茂吉、古泉千樫、土屋文明、岡麓、中村憲吉、島木赤彦ら多くの有名歌人が輩出されました。
節は子規の短歌論を忠実に踏襲し、自然の中に生きる人の素朴な情緒をこめた歌を作歌していきます。
時鳥(ほととぎす)竹やぶ多き里過ぎて麥(むぎ)のはたけの月に鳴くなり
藪陰のおどろがさえに はひまどひ 蕗の葉に散る忍冬(にんどう)の花
筑波嶺のノタリはまこと雨ふらば もろこし黍の葉も裂くと降れ
黄皀莢(さるかけ)の花さく谷の淺川に かじかの聲は相喚びて鳴く
野の草や蔬菜(そさい)、小動物たち、風や水を人と同列に意思や情緒を持つ存在としてみずみずしく感受して謳う節の特徴がよく表れています。
そして次第に散文の世界にも足を踏み入れていきます。旅行記を記したエッセイをいくつか発表した後、その延長線上にある小説『炭焼の娘』を著します。
当時、傾きかけた実家の経済を立て直すため、炭焼きを生業としようと、千葉県清澄山に研修に赴いた自身の逗留記をもとにしたもので、男性でも難儀な炭焼きやシイタケの榾木作りの労働に精を出す若い炭焼き少女「お秋」に淡い恋心を抱く主人公と、山林の自然の中に生きる人々、動植物との交わりを描いた短編です。
その後いくつかの短編を発表した素地の上に、作者渾身の大作『土』が執筆されるのです。
『土』を読むべき理由・自然描写が美しい
『土』は明治43(1910)年の6月から11月にかけ、東京朝日新聞(現在の朝日新聞)の小説欄に連載され、二年後に出版された節唯一の長編小説です。
舞台は郷里である茨城県南西部。東に鬼怒川と筑波山、西に利根川にはさまれた寒村で、小作農の勘次一家の生活を、常総地域の農村の四季の移ろいの美しくも執拗な描写とともに活写しています。
その自然描写は夏目漱石をして「あまりに詳細過ぎて、話の筋を往々にして殺してしまう失敗を嘆じた位、彼は精緻な自然の観察者である」と言わしめました。
《地上数寸の高さに雪は積っていた。桑畑の端の方に薹(とう)に立った菜種の少し黄色く膨れて聳然(すっかり)とその雪から伸び上がっている。其処らには枯れた蓬(よもぎ)もぽつりぽつりと白い褥(しとね)に上体を擡(もた)げた。頬白か何かが菜種の花や枯蓬の陰の浅い雪に短い脛(すね)を立てて見たいのか桑の枝をしなやかに蹴って活撥に飛び降りた。そうしてまた枝に戻った。
堀は雨の水を集めてさらさらと岸を浸して行く。青く茂って傾いている川楊(やなぎ)の枝がひとつ水について、流れ去る力に軽く動かされている。水は僅(わずか)に触れているその枝のために下流へ放射線状を描いている。蘆のようで然も極めて細い可憐なとだしばがびりびりと撼(ゆる)がされながら岸の水に立っている。お玉杓子(たまじゃくし)が水の勢いに怺(こら)えられぬようにしては、俄(にわか)に水に浸されて銀のように光っている岸の草の中に隠れようとする。》
時に1ページ以上にも及ぶ過剰な自然描写、風景描写は長塚作品、とりわけ『土』の特性ともいえますが、多くの読者にとってはこれが「退屈」「冗長」と思われ、挫折する原因ともなっているようです。が、言うまでもなくこれは『土』の唯一無比の魅力でもあります。自然の季節の移ろいを味わい楽しむ心の余裕をもたらしてくれるといえるでしょう。
『土』を読むべき理由・下総弁がかわいい
方言が「かわいい」ともてはやされる風潮も定着してきました。が、たいていそれは関西弁や九州弁、沖縄弁などの南西地域か、あるいは青森/岩手弁や北海道弁などの北日本の方言です。首都圏に近い関東弁がそのように取り上げられることはほとんどなく、方言ブームの中でも取り残された存在かもしれません。『土』では、茨城南西部の旧下総地方のネイティブな方言のやりとりが終始続きます。
《「おとっつぁ、そういに滾(こぼ)しちゃ駄目だな」おつぎは勘次の茶碗に手を添えた。
「勘次さん」内の女房は喚び掛けた。勘次が目を顰めて見た時
「勘次さん、はあおつぎこたあ出しても善かねえけえ」女房はいった。
「嫁になんざ出せねえよ、今ん処俺れ困っから」勘次はそっけなくいった。(中略)
「そんだっておめえ、そっちこっち口掛けて置かねえじゃあ、直(じき)年齢(とし)ばかしとらせちゃって仕ようねえぞ、俺らも一人出したがおめえ容易じゃねえよ。そうだこうだ云われねえ内だぞおめえ」
女房はいった。
「ええよ三十まで独りじゃ置かねえからこれげはいまに婿とんだから」》
全編通じてこんな風に、下総弁が丸出しで展開されます。常総地域や関東・南東北から離れた地域の方には「何を言っているかわからない」かもしれませんし、それは長塚節の文章に読点が少ないことにも起因するかもしれません。が、読点の少なさはこの地域の農民の会話のスピードやリズムを表すのに有効に働いているように思われます。筆者には「茨城弁(下総弁)かわいい」と思えるのですがいかがでしょうか。
『土』を読むべき理由・ヒロインおつぎがいとおしい
『土』の主要登場人物は、小作農・勘次とその妻・お品、お品の養父・卯平と、勘次とお品の子であるおつぎと与吉です。彼らは極貧の中であえいでいますが、勘次もお品も、養父の卯平も決して怠け者ではありません。身を粉にして野良仕事や出稼ぎに出ても、困窮から脱することはできないのです。そうするうちに風呂をもらう羽振りの良い家に対してどんどん卑屈になってゆきます。
お品は妊娠を堕胎した際の破傷風から命を落とします。
お品亡きあとの勘次の家は、お品の養父の卯平と勘次が互いに打ち解けあえず、みじめな暮らしは互いを疎んじる言動へと転じていきます。手伝いに上がっている農家の米や野菜を頻繁にくすねる勘次の行いが悲しくも描写されます。そして、小説のラスト近くでは、わがままな長男・与吉と祖父・卯平によって、ささやかながらも一家に重大な破局をもたらす事件が勃発します。
陰鬱な筋立ての超地味な小説『土』において花を添えるのは、冒頭の母親・お品が亡くなる時点では15、結末時には20歳を越えることになる、一家を支える長女・おつぎの愛らしさです。
《おつぎは勘次に後れつつ手の力の及ぶ限り働いた。
与吉は田圃の堀の辺(ほとり)に蓆を敷いて其処に置いてある。
「えんとしていろ、動(えご)くんじゃねえぞ動くとぽかあんと堀の中さ落っこちっかんな。そうら蛙ぽかあんと落っこった。動くなあ、そうら此処に棒あった。そうらこれでも持ってろ、泣くんじゃねえぞ、姉(ねえ)はこの田ン中に居んだかんな。泣くとおとっつぁに、あっぷって怒られっかんな」おつぎは頬を掏りつけて能くいい含めた。》
こうして幼い弟の面倒を見ながら、父の野良仕事に必死でついて働くおつぎですが、豆のまき方がまばらだと咎められ、勘次に殴られてしまいます。勘次の勘気に触れて、おつぎが理不尽に「ぶっ飛ばされる」シーンは何度か登場し、読み手に「勘次このやろう」という怒りを掻き立てますが、その分おつぎの不憫さやけなげさに思い入れが強くなってしまうわけです。
長塚節の文学の軌跡をたどっていてわかるのは、生涯通じて彼が特定の思想や政治運動、社会的な流行に一切関心を示さなかったことです。それは父親が自由民権運動にかぶれて政治家を志し、多額の借財を抱えて家運を傾け、長男の節が工面に苦労したことからの忌避でもあり、また盟友である伊藤左千夫が歌壇の権力争いを繰り広げ、それを傍で見ていての嫌悪でもあったのでしょう。左千夫を通じて、身近である節も否応なく巻き込まれることもあり、また及び腰な節の態度にいら立つ左千夫の執拗な作品批判に傷つくことも多くありました。
節のような内向するタイプは、たとえば宮沢賢治がそうであるように宗教に肩入れすることもえてして多いものですが、節はその部分でも片鱗は見られません。
節が信じて貫いていたものは、文学の出発点での師である子規の「万葉集の精神」のみでした。飾りのない人として(というより生き物として)の素朴な喜びや悲しみ、そして自然への賛歌は、絶筆となった短歌集「鍼の如く」で特に突出して現れています。
垂乳根(たらちね)の母が釣りたる青蚊帳をすがしといねつたるみたれども
「年老いた母が自分のために釣ってくれた蚊帳が尊い。たるんでいるけれども」という歌に表れている素朴な家族愛や慈しみの心持ちは、万葉集にまぎれていても気づかないほどの境地ではないでしょうか。
この境地を文筆の指針としていた節の文学が、社会的・政治的な灰汁や臭みを感じさせず、読む者にニュートラルに突き刺さってくるのは当然のことだといえるでしょう。
(参照・引用)
「土」 長塚節 新潮文庫
「炭焼の娘」 長塚節 岩波書店