除夜の鐘を待つばかりとなりました。令和2年が終わりを迎えます。新型コロナウイルス感染症の拡大に影響を受けながら1年は大晦日で締めくくられます。いつもでしたら各地の賑わいがテレビ画面に映し出されますが、今年は多くの方が家で過ごしていらっしゃることでしょう。感染症との闘いは新しい年も続きます。いつもと変わらない1日の移り変わりも年があらたまる大晦日となるとやはり特別な感慨をもつものですね。大晦日ってどんな意味があるのかしら? あれやこれやの大晦日をお届けします。

京都八坂神社のをけら火

京都八坂神社のをけら火


大晦日、過ぎゆく年を浄め新しい年のスタートを切ります

年越しの支度を調えた全国各地の神社仏閣ではさまざまな行事が行われます。誰もが耳にするのはお寺さんの除夜の鐘です。ぐぉ~んと鳴るのが聞こえてくるといよいよ今年も終わるのだ、と心が引きしまります。百八つといわれる煩悩を祓い新しい年が始まります。
浄めの火を焚いて年を越す風習は京都八坂神社のをけら火が有名です。火は火きり臼と火きり杵を使う昔からの方法できり出されます。これを御神火とし、をけら木を加え夜を徹して元旦の朝まで焚かれます。この火を縄に頂いて消えないようにくるくる回しながら家に持ち帰り新年の火種とするのです。神棚のお灯明に移したり、祝いの雑煮をつくる竈の火とするなどして無病息災と家内安全を祈ります。
鐘の音に燃える火、よすがは違っても過去を浄め新しい出発をするのが根本の心、ここに大晦日のもつ意味があるのだとわかります。誰しも新しい年は心を真っ新にして始めたいですよね。


喜びにあふれる歌をともに歌おう! 「歓喜の歌」を聞く大晦日

今年はベートーヴェン生誕250年。18~19世紀に活躍した作曲家がいまだに世界で人気を保ち続けているのは彼が作りだした音楽の力ゆえ。とくに年末に聞こえてくる交響曲第九番の合唱「歓喜の歌」は季節のメロディとなっています。
ベートーヴェンが生きた時代はフランス革命により大きく社会が変革していった時期と重なります。市民が自由を求め権力に対して立ち上がり行動を起こした時。同じ頃ドイツではフリードリッヒ・フォン・シラーが強く自由を求める詩や劇作を発表していました。ベートーヴェンは市民革命の精神に共鳴し、詩人シラーの詩をのせ交響曲を生み出しました。初演は1824年、ベートーヴェンが命を絶つ3年前のこと。鳴り止まぬ喝采はもう耳には届きませんでしたが、大きな感動を人々に残したのです。
大晦日での演奏が始まったのは、20世紀初頭に起こった第一次世界大戦後の1918年。平和を願う人々の声が高まったドイツのライプツィヒでした。「交響曲第九番(合唱付き)」の演奏は現在でもライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団によって大晦日に演奏されています。
日本で初めて演奏されたのがなんとライプツィヒの演奏と同じ1918年なのです。第一次世界大戦で日本は連合国の一員として参戦、終戦後には敗戦したドイツ軍捕虜が日本に収容されました。徳島県鳴門市の俘虜収容所では捕虜といえども行動の自由が許され、地元の人々との交流が行われていたということです。その中でドイツ兵による交響曲第九番が、あり合わせの楽器で演奏されたのです。ドイツ兵の胸は誇らしさでいっぱいだったことでしょう。戦争における敵・味方を越えた交流に、音楽の力のなんと大きなことでしょうか。初めて交響曲を聴いた地元の人々の驚きや感動も想像にかたくありません。合唱曲の付いた第九の魅力はその後、市民を巻き込んで開かれる演奏会として親しまれるようになっていきました。
大きな変化の時、困難に向かい合った時、私たちは誰もが共に幸せを感じられる世界を切に願います。ベートーヴェンの「歓喜の歌」は文句なく今年の大晦日に聞きたい一曲です。


大晦日、人情いっぱいの江戸っ子の噺で結びましょう

大晦日といえば思い出すのが落語の「芝浜」。天秤棒を担いで魚を商う勝五郎と女房の夫婦愛の噺を本年の掉尾に!
腕はいいが酒に目がなく飲んでばかり。なかなか仕事に精を出さない勝五郎がある日、芝の浜で拾った財布を持ち帰るとなんと42両の大金が! もう働かなくたって食っていけるっ、とばかりに大喜びでご近所友達を集めて酒を振る舞いどんちゃん騒ぎ。大いに飲んだくれたあげく酔っ払って寝てしまいます。翌朝女房に、
「おまえさん、河岸へ行って稼ぎに出ておくれ」と起こされた勝五郎は、
「きのう、芝の浜で拾った金があるじゃないか」というと、
「なに言ってんだい、おまえさん、夢でも見たのかい」と女房にいわれ押し問答の末、夢の財布で振る舞い酒をしてしまったことに仰天。残った莫大な借金に勝五郎は、
「もう二度と酒は飲まねえ。勘弁してくれ」と平に謝り、その後はすっかり心を入れ替えて仕事に精を出すようになったのです。
そして幾年月が過ぎたある大晦日の夜。勝五郎は小さいながらもお店を切り回す主人に出世を果たし、女房とふたり除夜の鐘を聞きながら借金取りを怖がっていた昔を懐かしみ、穏やかな年の瀬の幸せに浸っていると、
「おまえさん、この財布に覚えはないかい」と女房が持ち出したのは古い財布。
「そういや、昔こんな財布を拾った夢を見たことがあったっけなぁ」と勝五郎。
すると女房が、あれは夢じゃなかったんだと打ちあけます。拾った金を着服したらそれは大きな罪になる、と大家さんと相談して番所に届けたこと。亭主を立ち直らせたくてついた健気な女房の嘘には、今の勝五郎も感謝の言葉しかでてきません。なにもかもを話してしまった夫婦の心はすっかりうちとけ、
「おまえさん、今夜は一盃飲むかい」と女房がいうと、
「よし、飲もう」と長年断っていた酒を晴れて楽しめると喜ぶ勝五郎。注がれた酒を目の前にフッと出たことばは、
「よそう。また夢になるといけねえ」
このオチは何回聞いてもグッとくる男気を感じてしまいます。大晦日は言えなかったことを言い、出しにくかったことも除夜の鐘を聞けば思いきって話せるかもしれませんね。
除夜の鐘を待つばかり、そろそろ新しい年の足音も聞こえてきました。さあ心を清らかに、どうぞよいお年を!