戦後まもない1947年11月6日に東京の多摩川河畔で、大々的なお見合いパーティーが開催されました。結婚紹介雑誌「希望」が主催したもので、戦争で婚期を逃した人たちに結婚の機会を与えるという趣旨のもと開催され、386人の男女が参加しました。
このお見合いパーティーを記念するということで、11月6日は「お見合い記念日」に制定されています。現代ではお見合いで結婚するという夫婦は減りましたが、お見合いは長く続いた日本の文化のひとつです。そこでここでは、お見合いについての雑学をご紹介します。
お見合い結婚は全体の5.5%にまで低下
岩波国語辞典によると、見合いは「結婚するかどうかを決めるために、他人をなかだちとして、お互い知らない男と女が会うこと」とあります。今の若い人には信じられないかもしれませんが、1960年代末までは、恋愛結婚よりも親や縁戚が決めた相手と結婚する見合い結婚のほうが多数派でした。
戦時中は69.1%がお見合い結婚で、恋愛結婚はたったの14.6%。つい80年前には「恋愛結婚なんて信じられない」なんて言われていた時代があったわけです。そこから徐々に日本の高度経済成長が始まり、それに合わせて見合い結婚率が減っていきました。
2010~2014年のお見合い結婚の割合は5.5%です。これに対して「そんなにもいるの?」と思うかもしれませんが、お見合いの定義からすると結婚相談所やお見合いアプリなども、お見合いに分類されます。そうなると20組に1組がお見合いだとしても不思議ではありません。
そんな歴史とともに変わってきたお見合いですが、せっかく「お見合い記念日」ですから、日本のお見合いの歴史を紐解いていきましょう。
参考
夫妻の結婚過程|国立社会保障・人口問題研究所
お見合いの始まりは鎌倉時代
お見合いの歴史は長く、始まりは鎌倉時代の政略結婚だと言われています。鎌倉時代以前は公家の力が強く、公家同士での婚姻があたり前でしたが、鎌倉時代に入ると武家の力が強くなり、武家は良縁を求めて、お見合いで公家や家柄のいい武家と婚姻するケースが増えていきました。
ちなみに鎌倉時代以前の公家社会では、婿が嫁の家に入る「婿取婚」が基本でしたが、武家の時代になり武家は自分の土地から離れることができないこともあり、この時代から「嫁取婚」が主流になり、現在でも続いている父系制へと続いていきます。
当時のお見合いはまだ上流階級だけのもので、庶民にまで広がったのは江戸時代のことです。江戸時代中期には、肝煎所と呼ばれる結婚媒介業が登場します。ただし、西日本の沿岸部では自由恋愛が行われ、家と家の問題がついてくる窮屈な結婚を強いられる町人や商人からは羨ましがられていたという言い伝えもあります。
とはいえ一部の地域を除いて、江戸時代から昭和初期までは自分の意思では結婚することができず、さらに戦争が始まると家制度がさらに厳しくなり、お見合い結婚といえども断ることができない強制結婚に近い状態が続きました。
中世の結婚と離婚:史実と狂言の世界
自由恋愛の時代にも残るお見合いというシステム
1945年に終戦を迎えた第二次世界大戦。そこから日本の法律が変わり、結婚は家のものではなく個人のものとなりました。そして高度経済成長時代へと突入していくわけですが、ここで都市部に若者が集中するようになり、職場で結婚相手を見つけるという人が増えていきます。
これによりお見合い結婚は減り、恋愛結婚が主流となります。それでも恋愛結婚をしない人に対して親がお見合いを勧めるという話は少し前までそれほど珍しい話ではありませんでした。1990年代前半には、まだ10組に1組がお見合い結婚でしたが、そこからさらにお見合い結婚の割合が減っていったのはすでにお伝えしたとおりです。
それでもお見合いそのものがなくなったわけではありません。親が強制的に結婚させるということはもうほとんどありませんが、自由恋愛をベースにした婚活パーティーや結婚相談所といった形でお見合いは今でも残っており、大きなビジネスにもなっています。
晩婚化が進んでいることから、国や自治体が主体となって婚活パーティーや婚活イベントを開催することもあります。いずれ結婚はしたいけど、なかなかいい出会いがなくて困っているという人は、このような現代版のお見合いを上手に活用して、パートナーを見つけるのもいいかもしれませんね。