五月(さつき)と言えば、爽やかに空を舞う鯉のぼりが目に浮かびます。五月五日は端午の節句です。男の子のお祭りだから、他にも兜や弓などの武者飾りをしたりもしますが、平安和歌から見ると、菖蒲(ショウブ)が中心です。今回は、端午の節句での菖蒲について、平安和歌を交えて紹介します。
ショウブの花とハナショウブは、別の科
さて、ショウブは漢字で表すと「菖蒲」ですが、アヤメとも読めるため、ちょっと混乱しますね。植物としては、ショウブはサトイモ科に属し、池や沼を好んで、五~七月に黄緑の地味な肉穂花序をつけます。強い芳香があり、それが邪気を払う呪力があるとされ、ショウブ湯以下の習俗を生んだ基のようです。
植物学上で、このショウブとアヤメ科の植物はまったく別です。カキツバタやハナショウブは、剣状の葉や水性を好む点でショウブと同じですが、それらはアヤメ科に属し美しい花を咲かせます。また、アヤメは、カキツバタなどと類似した花を咲かせますが、水性ではなく山野を好みます。
以下は、ショウブについての話題ですが、ショウブを漢字では菖蒲と書き、それを和語ではあやめ と読み、あやめ草とも言います。上記のアヤメ科のアヤメではない点に、注意が必要です。
端午の節と菖蒲
端午の節は、もともと中国由来の行事で、端とは初の意で、端午は月の初めの午の日が原義です。午が五と混同されて、五月五日が端午の節となりました。
古代楚の国の年中行事を記した「荊楚歳時記」(けいそさいじき)には、五月は悪月で五日には種々の邪気払いをする、その一つに菖蒲を刻んだり粉にして酒に浮かべるとあります。
五月五日の菖蒲と言えば、現代でも菖蒲湯があります。湯に浮かべた菖蒲の爽やかな香りにひたるのは、筆者にとっても幼時以来のささやかな楽しみです。その起源もまた、楚の詩人屈原と周辺の作品集「楚辞」に、「蘭湯に浴し、芳華に沐す」とあり、古代中国にあるようです。
日本での端午の節の語は、「日本書紀」に次ぐ歴史書「続日本紀」での仁明天皇の承和六年(839)五月五日の記録が最も古いようです。この時代、貴族は当日に宮中へ菖蒲の縵(かずら)-菖蒲の葉を輪にしたもの-を頭に被って参入することになっていました。それは万葉集で見ると、菖蒲に橘やよもぎも合わせて作ったとわかります。
〈……ほととぎす 鳴くさつきには あやめ草 花たちばなを 玉に貫き 縵にせむと……〉
〈……ほととぎす 来鳴くさつきの あやめ草 よもぎ縵き* ……〉*縵き=縵にして
その後、平安時代中期には、家の軒に菖蒲を葺くことと、薬玉を吊すことが盛んになったようで、その様が枕草子や栄花物語にも描かれています。
〈節に五月にしく月はなし。菖蒲・よもぎなどの香り合ひたる、いみじうをかし。九重の御殿の上をはじめて、言ひ知らぬ民の家まで、いかで我がもとに繁く葺かむと葺き渡したる……(枕草子)〉
〈はかなく五月五日になりぬれば、……軒の菖蒲も隙なく葺かれて、心ことにめでたくをかしきに、御薬玉、菖蒲の御輿(こし)などもて参りたる……(栄花物語)〉
若干の補足をすると、菖蒲の御輿とは、菖蒲とよもぎを盛った輿です。薬玉は、前掲の「荊楚歳時記」に続命縷、または長命縷とあるものに相当するらしく、種々の香料を玉にして、菖蒲やよもぎも添えて五色の糸を垂らしたもので、それを肘に掛けると、悪疫を避け、長寿をもたらすとされます。枕草子には、
〈…縫殿より御薬玉とて、色々の糸を組み下げて参らせたれば、御帳立てたる母屋の柱に左右に付
けたり。九月九日の菊を、…同じ柱に結ひつけて月頃ある薬玉に解き替へてぞ棄つめる。〉
とあって、薬玉は寝殿中央を表す母屋(もや)の左右の柱に結び付け、九月九日に菊に交代するとされています。
和歌での端午の節の菖蒲は、軒に挿した様を詠むことが主です。その一首を挙げます。
〈つれづれと 音絶えせぬは 五月雨の 軒の菖蒲の しづくなりけり(後拾遺集・夏・橘俊綱)〉
五月雨が降る中で、軒に挿した菖蒲から落ちるしずくの絶え間ない音を詠んだ一首です。
以上が端午の節で主に注目されることですが、もう1点あります。
根合~ねあわせ~
それは、端午の節に催される、根合(ねあわせ)という行事です。平安時代には、〇〇合と言われる貴族の遊びが盛んに行われました。まとめて物合(ものあわせ)と言いますが、単純に言えば、左右に分かれた者がある物の優劣を競う遊びで、歌合もその一種です。参照文献に挙げた「平安朝歌合大成」に見られる物合を列挙してみます。
紅梅合、蛍合、瞿麦(なでしこ)合、菊合、女郎花(おみなえし)合、草合、花合、紅葉合、前栽合、物語合、草子合、絵合、障子絵合、小箱合、貝合、扇合、謎合
このように物合は日常生活で目にし、耳にする様々なものについて行われたことがわかります。
根合も物合の一つですが、これは、菖蒲の根の長さを競うものでした。なぜ根にこだわったのかは不明ですが、上記歌合大成には4回の根合が見え、中でも大がかりだったのが、永承六年(1051)五月五日に催された内裏根合です。栄花物語には、この催しを見守った女房たちが菖蒲の衣・よもぎの唐衣などで装ったとあり、古今著聞集では、洲浜という浜辺を模した置物に、銀の松や鶴亀と沈香(じんこう)という香木で作った岩を据え、銀の遣り水を流したなどとあり、目を見張る豪華さが偲ばれます。
さて、根合の勝負場面ですが、
〈…左右相分かれて御前に候す。経家朝臣、長き根を取りて良基朝臣にさづけて、南の廂(ひさしー母屋の外側)に伸べ置かしむ。右またかくのごとし。その長短を争ふ。左の根一丈一尺、右の根一丈二尺、よりて右勝ちにけり。…〉
とあります。根の長さは、左が約3.6m右が約4mもあります。このようにして根合は三番まで行われ、その後に歌合と管弦の演奏があって一連の催しは終えました。
根合は、堤中納言物語の中の一編、「逢坂越えぬ権中納言」の一場面にも描かれ、その根合の後の歌合では、
〈君が代の 長きためしに 菖蒲草 千尋に余る 根をぞ引きつる〉
と、長寿の手本として菖蒲の計れないほど長い根を引き抜いたという、根合に相応しい一首も詠まれています。
菖蒲の和歌
菖蒲は端午の節との結び付きによって注目され、和歌にも詠まれていますが、必ずしも端午の節を常に詠むわけでもありません。最後に菖蒲を詠んだ名歌二首を掲げることにします。
〈ほととぎす 鳴くやさ月の あやめ草 あやめも知らぬ 恋もするかな(古今集・恋一)〉
これは、古今集で唯一の菖蒲を詠んだ歌です。上句は、五月の情景を示すだけの序詞で、「あやめ草」から引き出された「あやめ」が筋道の意の「文目」で、下句は分別を越えて陥った恋の始発を詠んでいます。次に挙げるものは、この古今集歌を本歌取りした歌で藤原良経の作品です。
〈うちしめり あやめぞ薰る ほととぎす 鳴くやさ月の 雨のゆふぐれ(新古今集・夏)〉
しっとり湿った中で広がる菖蒲の香りを強調し、それがほととぎすの鳴く五月雨の降る夕暮れ時だと言います。湿り気に五月雨とほととぎすの声が重なりながら、むしろ菖蒲の香りが包み込む静かな調和が感じられる秀歌です。
五月五日直前には、スーパーマーケットにも菖蒲が並びます。手軽に使える菖蒲の元という入浴剤もあるようです。菖蒲湯の香りの中で、一時でも爽やかな気分を味わいたいものです。
◆参照文献
荊楚歳時記 宗懍 守屋美都雄 訳注(平凡社 東洋文庫)
続日本紀 青木和夫・稲岡耕二・笹山晴生・白藤禮幸 校注(岩波書店 新日本古典文学大系)
平安朝の年中行事 山中裕 著(塙選書)
平安朝歌合大成 萩谷朴 著(同朋舎)
歌ことば歌枕大辞典 久保田淳・馬場あき子 編(角川書店)
和歌植物表現辞典 平田喜信・身﨑壽 著(東京堂出版)
万葉集・枕草子・栄花物語・堤中納言物語(小学館 新編日本古典文学全集)
古今著聞集(新潮日本古典集成)