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薄紫にゆらぐ藤波、遅い春に祝う ~平安和歌に見られる藤~


春の後半で、山吹とともに採りあげるべき花が藤です。

藤の花は、春の終わりから夏の初めにかけて咲きます。山吹に比べれば木も大きく花も豪華です。今年は映像のみで楽しむ地域も多いことになりましたが、例年この季節には、日本中各地の藤の名所は、大変な賑わいになります。

その藤についての古典世界での評価は、現代以上に重みがあります。今回は、藤について平安和歌と源氏物語での表現を見てゆきたいと思います。


藤の出発―藤衣

藤は古く、古事記から見えます。応神天皇記の春山之霞壮夫(はるやまのかすみおとこ)の結婚説話で、母親が藤の蔓から衣服や沓(くつ)、弓まで作って用意したものが結婚直前に、すべて藤の花になったとあります。その古代的意味は明らかではありませんが、藤はまず、衣服の素材だったことがわかります。その後、万葉集から平安和歌にかけて藤衣(ふじごろも)は粗末な服とされています。



〈穂にも出でぬ 山田を守ると 藤衣 稲葉の露に 濡れぬ日ぞなき(古今集・秋下)〉



まだ穂もでていない山田の番をするため、粗末な藤衣は、稲葉に付いた露に濡れない日はない、という歌です。この延長からか、藤衣は喪服にもなります。



〈藤衣 はつるる糸は 侘び人の 涙の玉の 緒とぞなりける(古今集・哀傷)〉



父親を喪った悲しみの歌で、喪服のほつれた糸が、悲しむ自分の涙をつなぐ緒になっていると詠んでいます。藤については、このように地味な面もあります。しかし、一般的には藤の花には、静かで品格のある華やいだ世界が広がっています。


藤の花は、松にかかる波―藤棚はなかった

藤は蔓性ですから何かに絡んで成長します。そのため、現代では山での自生以外は藤棚に仕立てることが一般的です。しかし、近世以前の藤は棚仕立てではなく、松の木に絡ませて生育していました。



〈夏にこそ 咲きかかりけれ 藤の花 松にとのみぞ 思ひけるかな(拾遺集・夏・源重之)〉



春に咲き始めた藤の花が、夏にまでかかって咲き続けている。かかるのは松だけと思っていたよ、という内容です。まさに藤と松の関係を前提にしています。

また、藤の花は房状に咲きます。枕草子では、藤の花について、まず「貴(あて-上品)なるもの」として挙げる他に、「しなひ長く、色濃く咲きたる、いとめでたし」(木の花は)とあります。「しなひ」は花房のことです。あるいは、「色合ひ深く、花房長く咲きたる藤の花、松にかかりたる」(めでたきもの)ともあり、藤の花が色濃く、房が長いものを清少納言は好んだとわかります。

なお、その花房は風で揺れる様が波に見られて、すでに万葉集から藤波と表現されています。



〈多古の浦の 底さへ匂ふ 藤波を かざして行かむ 見ぬ人のため〉



多古の浦は、富山県氷見市の地名です。浦の水底にまで花影を映す藤の花を手折って髪に挿し、その美しい花を人に見せようという歌です。

平安時代になると、「松にかかる藤波」がパタ-ン化して盛んに詠まれるようになります。



〈住の江の 松の緑も 紫の 色にぞかくる 岸の藤波〉(後拾遺集・春下)

〈年経れど 変はらぬ松を 頼みてや かかりそめけん 池の藤波〉(千載集・春下)



一首目の住の江(すみのえ)は、今の大阪湾。内容は、住の江の住吉大社にある松林の緑も、紫色がかかっているよ、岸に寄せる波のような藤によって、というもの。緑に紫が重なる色彩の美しい情景を描いています。

二首目は、常緑で長寿の象徴ともされる、年月を経ても変わらない松を頼りにして、池の辺の藤波は、かかり始めたのだろうか、という内容。松が皇室、藤が藤原氏を比喩しているともされています。

この「松にかかる藤」は、貴族の邸宅の部屋での仕切りとされた大和絵による四季の景物を描いた屏風の定番画題で、その絵に添える屏風歌として多くの和歌が詠まれました。常磐の松に藤原氏の象徴でもある藤が詠まれるのですから、祝賀の意味もありました。

また別に藤の花の色は、仏教で往生を遂げる人を迎える紫雲にも見なされました。



〈紫の 雲とも見ゆる 藤の花 いかなる宿の しるしなるらん(拾遺集・雑春・)〉



紫雲とも見える藤の花はどのような家のめでたい兆しなのだろうという内容ですが、時の権力者・藤原道長の長女彰子が一条天皇に入内(じゅだいー結婚)する時の祝いで作った屏風の和歌で、藤の花を紫雲と見て藤原氏の栄華を祝っています。このように藤の花は、単に上品で美しいというだけでなく、宗教や世俗的価値観の面からも重んじられていたとわかります。


源氏物語での藤

源氏物語での藤は、まず、主人公光源氏の継母でありながら、憧れの恋人でもある女性が藤壺と呼ばれるところで印象づけられます。

彼女こそが源氏の生涯の輪郭を作ったとも言える人物です。藤壺の命名は、彼女の住む内裏の殿舎の庭に藤が植えられていたことに由来しますが、殿舎の位置が天皇の居住する清涼殿の間近で、清涼殿内には「藤壺の上の御局(みつぼね)」もあり、天皇に最も近い妃であることを示してもいます。

この藤壺の姪に当たるのが源氏の生涯を通して最愛の妻であった紫の上です。また、光源氏が関わる最後の女君として登場する女三宮(おんなさんのみや)も藤壺の姪です。藤壺から紫の上、そして女三宮へのつながりを「紫のゆかり」と言いますが、その紫は藤について言われる色です。

また、物語を三部構成とした第一部末尾は、光源氏が源氏という臣下の身分から准太上天皇という退位後の天皇に準ずる位に上り詰めて終えます。それは、光源氏と藤壺との密通から生まれながらも、帝位まで昇った冷泉院が、実の父を源氏と知ったことにより実現したことです。その巻名が藤裏葉(ふじのうらば)です。裏葉とは枝先に最後に出た葉ということですから、第一部掉尾に相応しく、それが藤で締め括られています。

では、物語中で藤はどのような場面に出ているでしょうか。物語全編中で藤が描かれている場面は、ほぼ10カ所ほどになります。その中から第一部末尾の藤裏葉の場面を採り上げて紹介します。

光源氏の正妻だった葵上(あおいのうえ)の遺児夕霧は、葵上の兄で源氏の親友兼ライバルでもある内大臣の次女の雲居雁(くもいのかり)と、幼くして深く心を通わせる仲でしたが、内大臣が娘を東宮妃候補へと目論んでいたため、二人の仲は長く隔てられていました。しかし、時を経て内大臣は二人の仲を認める決断をします。

内大臣は、我が邸宅の藤の花盛りに合わせて宴を催し、夕霧を招きます。内大臣は宴も進み酔いも回るころ、藤の花が、他の花に遅れて咲き夏にかかることを、格別に情趣深く、花の色も親しめると、賛美します。上機嫌の内大臣は、物語の巻名にもなった古歌、



〈春日さす 藤の裏葉の うらとけて 君し思はば 我も頼まむ〉



を歌います。初句・二句は「うらとけて」を引き出すだけで特に意味はなく、「うら」は心を表します。一首はあなたが心から思ってくれるなら、私もそれを信頼しますとの意味で、二人の結婚を承諾する気持ちも含まれています。その後、自作の和歌も詠みます。



〈紫に かごとはかけむ 藤の花 松より過ぎて うれたけれども〉



難解ですが、「紫・藤の花」は雲居雁を指し、藤がかかる松には「待つ」を掛け、全体は、二人の結婚を待ち過ぎていまいましいが、ぐちは娘の雲居雁に言いましょう、とのこと。藤に気持ちを寄せつつ、夕霧と雲居雁の二人が、さながら松に寄って藤が咲くように、遅れながらもゴールインしたことへの理解を示しています。その後、



〈七日の夕月夜、影ほのかなるに、……横たはれる松の、木高きほどにはあらぬに、かかれる花のさま、世の常ならず面白し〉



と、朧月の下に広がる藤の花の幻想的な記述があって、夕霧・雲居雁二人で過ごす夜へと進みます。

物語は光源氏家と内大臣家の和解ということでもあり、また源氏から次の世代の活躍への道作りにもなって、藤の花は第一部末尾を華やかに彩ったと言えるように思います。



参照文献

歌ことば歌枕大辞典  久保田淳・馬場あき子 編(角川書店)

和歌植物表現辞典   平田喜信・身﨑壽 著(東京堂出版)

古事記 山口佳紀・神野志隆光 校注・訳(小学館 新編日本古典文学全集)

源氏物語 阿部秋生・秋山虔・今井源衛・鈴木日出男 校注・訳(小学館 新編日本古典文学全集)

そろそろ、そこかしこで藤の花が咲き始めます。藤棚に見事に咲くさまもよいですが、松の枝に寄り添うように咲くさまもまた、趣深いものです。

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