8月ももう終わりですね。日中は暑い日が続いていますが、朝晩は多少涼しく感じられる時季になりました。とはいえ、残暑もまだ続きそうなので、熱中症には十分ご注意くださいね。
さて、歳時記をめくりますと、見える季語、見えない季語というのがあります。例えば、風の名前などは目に見えないものですし、時候の季語も同様ですね。そのなかで時候の「二百十日」と、地理の「不知火(しらぬい)」は、特に季語として不思議で謎めいているのですが、今回はこれらの意味や謂れ(いわれ)などを調べてみました。
「二百十日」「不知火」の由来を知ろう!
「二百十日」と台風
「二百十日」とは、立春から数えて二百十日目をいい、今年は9月1日がその日にあたります。なぜあえて「二百十日」というのか。それは、日本では稲の花が咲く大事な頃でありながら、台風襲来の時季でもあり、この日を無事に過ぎてほしいという農家の願いから「厄日」ともいわれているのです。
確かに秋は台風が多く発生する時季ですが、この日に台風が上陸することはほとんどなく、実際には10日後の「二百二十日」以降に襲来したという記録が多いのだそう。台風という言葉がなかった時代は、野を分ける秋の強い風「野分(のわけ)」と呼んでいたそうで、現在も季語として使われています。
ところで、二百十日という言葉はいつから使われていると思いますか? 実は江戸時代に作られた日本人による最初の暦、貞享暦(じょうきょうれき)に当時の天文・暦学者の渋川晴海(しぶかわはるみ)が最初に記したとされています。渋川は、幼少期から暦学や数学に精通し、平安時代より使われてきた宣明暦(せんみょうれき)に誤りがあることを発見。独自の研究によって完成させた貞享暦(じょうきょうれき)が1684(貞享元)年に幕府に採用され、初代の幕府天文方になった人物です。
さて、厄日とも言われる二百十日には有名な行事があります。富山市八尾(やつお)で行われる「風の盆」は、9月1日の二百十日から三日三晩“越中おわら節”を唄いながら踊り続け、風を鎮めて五穀豊穣を祈る盆納めの祭で、「風祭(かざまつり)」とも呼ばれているそうですよ。
神秘な現象「不知火」
次に「不知火」です。
不知火とは、陰暦8月1日(今年は8月30日ころ)前後の午前2時または3時ころに、九州の八代海と有明海の沖に、大小さまざまな明るい火が点滅し、海上一面に横に広がる現象のこと。
その原因は諸説あり、夜光虫がもたらす、あるいは漁火……などが考えられていますが、水面と大気の間の温度差によって遠方の光(漁火)が無数の光の像をつくる蜃気楼のようなもの(異常屈折現象)が有力な説だそうです。
ところで、この不知火という言葉はいつからあると思いますか? ときは奈良時代、720年に完成した「日本書紀」または713年に完成した「風土記」にはすでに載っていたそうです。日本書紀では、景行天皇が火の国征伐の際、海上に多くの火が現れ、無事に船を岸につけられたが、何の火かわからなかったので“不知火”と呼ばれたとか。また、風土記では、筑紫の枕詞として載っているそうですよ。
ちなみに不知火は、現在の宇城市不知火町として現存しており、熊本県の名産品デコポンの名前としても知られています。不知火を見たという情報は少ないのですが、歳時記のなかではミステリアスな季語として残っているのです。
(参照:俳句歳時記(春~新年) 角川学芸出版 角川文庫/入門歳時記 大野林火・著 角川学芸出版/広辞苑/明鏡国語辞典)
あらためて奥深い日本語
今回の季語を調べると、千年以上前にはあった言葉や、膨大な資料を読み解いた天文学者が記した言葉など、その歴史や意味にも興味深いものがありましたね。
──言葉や漢字の成り立ちを知ることは、日常生活に膨らみを持たせてくれるはず。
地球温暖化、異常気象と叫ばれている昨今、自然との関わりは大きな歴史のなかにあるのだと、あらためてこれらの季語から考えてみたいですね。