長梅雨から一転、厳しい暑さとなっていますが、8月8日からは「立秋」に入ります。立秋とは太陽黄経135°で、一年を24分割した二十四節気の立春と同じ角度の日。“秋”とはつくものの、実際にはうだるような暑さの最中であり、8月23日からの「処暑」(暑さがおさまる頃)には秋の気配が感じられることを願いたいですね。
さて、歳時記は、おおむね「時候」「天文」「地理」「生活」「行事」「動物」「植物」の季語に分類されています。なかでも、その日だけの唯一無二の季語が、二十四節気でもある時候の季語と忌日などが記されている行事の季語です。
そこで今回は、8月の季語の中で特に大切な、忘れてはならない行事の季語をご紹介します。
「原爆忌」と「終戦記念日」
秋の歳時記の行事の季語の中におさめられているのが、8月9日の「原爆忌」と、8月15日の「終戦記念日」です。これが季語であるとご存じでしたか?
“ちょっと重いのでは……?”と思われる方も、事実を覚えておくのは大切なこと。まずは季語としての意味を覚えておきましょう。
「原爆忌」とは?
昭和20(1945)年8月9日に長崎市に原子爆弾が投下されました。推定死亡者数き6~7万人といわれています。この慰霊の日が、季語としての「原爆忌」です。また「長崎忌」「原爆の日」とも呼ばれ、秋の季語となっています。
もうお気づきかもしれませんが、「原爆忌」はもうひとつあります。それは、同じく昭和20(1945)年8月6日の世界初の原子爆弾が広島市に投下された日です。推定死亡者数は13万人以上。この日も「原爆忌」または「広島忌」「原爆の日」とし、夏の季語として収蔵されています。
「終戦記念日」とは?
昭和20(1945)年8月15日、日本が連合国側のポツダム宣言を無条件で受諾し、太平洋戦争は終結しました。以降を「終戦記念日」とし「終戦日」「敗戦日」「八月十五日」とも呼ばれています。当時の昭和天皇がラジオで国民に敗戦と戦争の終了を伝えました。
そして、おのおの「戦争の根絶と平和を願い、各地で戦没者を追悼する日となっている」と結ばれています。
記録としての「原爆忌」「終戦日」
以上が歳時記に載っている季語の意味です。そこには誇張も個人的な意見はありません。事実のみが記されています。
季語として載っているということは、もちろん俳句が作られていることになりますが、どんな人がどんなふうに作っていると思いますか? やはり戦争を体験した人なの?と思いがちですよね。
しかしながら、終戦から74年経ち、戦争を知らない世代がますます増えている現在に、記憶としての俳句を詠む方はほとんどいないといっていいでしょう。
むしろ逆で、戦争を知らないから詠める、作ることに意味があるといわれています。それは……、
少なくとも俳句人口100万人といわれる方が、一年に一度は必ず歳時記の中で目にする季語だということ。
そして、全員ではないものの平和を願って句を作っているということ。
それを記録として残していることが、これらの季語に対する畏怖なのではないかと思うのです。
では、実際にどんな句が詠まれているのでしょうか。
若手と呼ばれる俳人の作品をご紹介します。
〈原爆忌見上げた空がまぶしくて〉村上理穂(中3)
〈ひとつづつ卵にシール終戦日〉小高沙羅
〈広島忌振るべき塩を探しをり〉櫂未知子
(参照:俳句歳時記(春~新年) 角川学芸出版 角川文庫/入門歳時記 大野林火・著 角川学芸出版/広辞苑)
一年に一度の慮(おもんぱか)る日
今回の季語は、ある意味特別な季語であり、俳人にとっても難しい季語のひとつです。また、俳句をやってほしいとおすすめするものでもありません。
“慮(おもんぱか)る”とは、「あれこれと思いを巡らす、深く考える」「行動するときに考える」という意味があります。つまり「想像すること」が不可欠な言葉なのです。
──言葉や漢字の成り立ちを知ることは、日常生活に膨らみを持たせてくれるはず。
個人でできることには限りがありますが、誰にでもできるのが“願う”ことです。どうか、一年に一度の平和と身近な人の未来を慮る日となりますように。