日本百名城に指定されている佐倉城址。その西北の一角に建つのが歴史民俗学の殿堂・国立歴史民俗博物館です。3万5千㎡の広大な展示スペースに六つの常設展示室と企画展示室二室を備え、先史時代から現代までの時代ごとに日本列島で生き継いだ人々の営み、信仰、文化を豊富な資料と巨大模型、映像などの視覚によってわかりやすく展示します。このうち博物館の「顔」ともいえる第一展示室は1983年の開館以来初の大規模な展示変更のため、2015年5月から2年10ヶ月にわたる長期閉鎖を行いました。そして今年3月19日、満を持してのリニューアルオープンとなりました。暦博ファンが首をながーくして待ちに待った新・第一展示室のお披露目です。早速駆けつけてみました。
「新しい古代史観」はより有機的にクリアに。最先端技術の展示物に歴博の底力を見た
和風装飾とライティングで華やかにデコレーションされ、期待を盛り上げるにぎやかなプロムナードを右に曲がって第一展示室に入ったとたんに出迎えるのが、ナウマンゾウの実物大模型。かつて最終氷期の頃、日本列島には数多くの巨大哺乳類が生息していました。ナウマンゾウの骨は、歴博のある佐倉近辺でも見つかっており、発掘された遺骨をもとに、模型は再現されています。
続いてナウマンゾウとともに生き、彼らを狩りもしていた氷期日本列島の人々の精巧な再現模型が登場します。黒曜石の鏃を作る父子、毛皮をなめし、動物の骨で作った針で縫製する母子、獲物の鹿を鋭い石鑿でさばく狩猟者など、最先端の模型技術で精緻に再現され、まじまじと見るのもはばかられるようなリアルさです。かつては片掛け毛皮のワンピースをまとった槍を持つ原始人的ビジュアルで表現されることの多かった先史時代の人々は、最新の研究により、粗野ながらも洗練された美意識と技術をもって生活していたこともわかってきて、その研究成果を忠実に再現しています。力のこもった演出に、「原始~古代」を「先史~古代」と看板をかけかえた気概を感じました。
今回のリニューアルのポイントの一つは、土器と土偶展示の充実です。開館当時の定説から最新の考古学に基づいて、土器時代を3500年古く始まったものとし、縄文土器、弥生土器、須恵器がどう変遷したか、地域と時代性、食文化(狩猟採集から稲作へ)をよりダイナミックに理解できるよう展示されています。弥生時代を従来説より500年早い時期に設定する、としたのも歴博。縄文と弥生の両文明区分はけっして分断対峙したものではなく、混在し、融合しながら変化していったものであるという有機的な解釈が、展示にも反映されています。
各種土偶の展示も充実しました。極初期の原初的なビーナス像から屈折土偶と呼ばれる出産の女性を表現した土偶、さらには祭祀物としての日本最大級の大型石棒の実物など、縄文人の生殖と信仰が密接に関係した精神世界を、ユーモラスでどこか哀愁をおびたさまざまなタイプの土偶から明らかにしています。えてして性を深刻にとらえがちな現代と比べて、おおらかな古代の性文化は、現代人が汲み取るべき教訓があるように思います。唯一不可解だったのは、「鳥葬」の展示でした。いかなる弔いなのか、大きな再現パノラマがあるにもかかわらず、具体性が見えてきませんでした。が、神社の門である鳥居とその原型が何であるかを知ることの出来る興味深い展示です。あえて謎めかしているのかもしれません。
残ったものと加わったもの…ネコマニアにはうれしい演出が!
展示スペース自体は変わりませんから、より充実した展示を心がける中で取捨選択はあります。いくつかの大きな展示物がなくなりました。箸墓古墳の巨大復元模型、群馬お富士山古墳の実物大長持石棺のレプリカ、平城京復元景観、陸奥国分寺の復元模型は展示から外されています。古墳時代の展示は、東アジア全体に台頭する「国家」と、王権/支配者の権威の象徴としての墳墓の形態や、服飾、埴輪や刀剣、銅鏡を含む埋葬造形物などを、より広範に体系的展示することにより、日本列島に形成された「倭」と、東アジア諸国との海をまたいだ交雑と衝突を理解できるように工夫されています。日本のものと似ているようでテイストの違う朝鮮半島の金細工のアクセサリーや、中国王朝の金印・銀印・銅印など、権力の象徴であった鉄剣、広形銅矛などが、海に見立てた青いスポットに所狭しと並びます。
飛鳥時代にはじめて歴博が踏み込んだのもトピックです。初お目見えの須弥山石の実物大再現模型が目を引きます。歴博ならではの、謎だらけの飛鳥時代へのアプローチの、今後の深化に期待です。
ネコ好きにうれしいのは、弥生時代の高床式倉庫の復元模型は長崎カラカミ遺跡の高床倉庫の復元模型に刷新され、近年当地の埋葬場から見つかったイエネコの遺骨をもとに、ネズミから穀倉を守る親子のネコのリアルな模型がはしご付近に配されていること。子猫のほうは、零れ落ちた稲穂の端切れにじゃれついているというかわいさ。
刷新された羅城門の復元模型にも、ネズミを追うネコやうたたねしているネコの姿が。弥生時代から律令国家の都まで、ネコが日本の歴史の始まりの頃から稲作集落の中で大切な役割を担い、人と共に生きてきた仲間である、という歴博の明確なメッセージを感じることが出来ます。
「鳴らせる銅鐸」も楽しいアトラクションです。ちょうど中学生の見学集団が来ていたためか、ひっきりなしに鳴らされていましたが、重々しい寺院の鐘の音ではなく、西洋の教会の鐘にも似た空に抜けるような明るい音色は、当時の日本人の精神性が今とはかなり違っていたことも感覚として理解できます。
開館当時から第一展示室の独立コーナーとして展示スペースが設けられ、後に世界遺産登録された「正倉院」と「沖ノ島」はより充実が図られ、各種正倉院文書(撮影不可)や沖ノ島祭祀遺物の展示はより充実しました。筆者が好きなパノラマ展示の一つ、「沖ノ島磐座分布模型」が削られずに残されたのはうれしく思います。
本物の「江戸」が生きている佐倉の町を歩く
そんな歴博を出て、樹木の威勢のいい城址公園に入ると、まるで歴博の作り物が化身でもしたように、くつろいでいるノラネコ(城址猫)たちの姿が見られます。かわいがられているのか、人をおそれる様子もなく泰然としている姿を見ると、昔ながらのネコのあり方がここではまだ生きていることもわかります。本丸跡から優美な空堀、「暮らしの植物園」を過ぎると城域から市街に。佐倉市市民体育館脇の小道を住宅街に入り、森のふちを彩るオドリコソウやキイチゴなどの野の花を見ながら進むと、やがて「ひよどり坂」に行き着きます。竹林がうっそうと伸びた斜面に続く長く細い坂道は、江戸時代から変わらない景観を保ち、近年は侍姿や姫衣装のコスプレの撮影スポットとして人気になっているとか。タイムトンネルのような坂を上りきると、そこが関東では最大級の武家屋敷街になります。このうちの三軒が江戸時代当時のままに保存されて公開されていますが、その並びの各家は住人もおり、建物は建て替えられていても目隠しの高い生垣や土塁などは当時のままに残されています。武家屋敷街から離れた中尾余町には、現在も住人が住まう江戸後期の武家屋敷「佐藤家住宅」(内覧不可)もあり、アトラクションではない本物の「生きた江戸時代」を体感することができます。
歴博では、GW中の5月3日(金)、研究員による第一展示室のギャラリートーク(入館料以外無料)が館内で開催されます。AM10:00より「最終氷期に生きた人々」、AM10:55より「正倉院文書複製の特別公開」、PM13:00より「多様な縄文列島」、PM13:55より「水田稲作のはじまり」。興味のあるテーマにあわせて、訪館してみてはいかがでしょうか。
なお、第二~第六展示室については、こちらもご参照ください。
https://tenki.jp/suppl/kous4/2018/10/26/28543.html
国立歴史民俗博物館第一展示室 先史~古代