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吹きすさぶ木枯らしは「オーディン」の季節の訪れ。七十二候「地始凍(ちはじめてこおる)」


11月12日より、立冬の次候「地始凍(ちはじめてこおる)」となります。次第に気温が下がり、土に霜が折り始める頃、とされます。南北に長く標高差も大きい日本列島では初霜の時期もまちまちで、11月中旬頃の初霜となると、およそ宮城県の仙台あたりが時期となり、温暖化と都市化が進行した東京都心部に至っては30年前の1988年に11月の初霜が観測されて以来、30年間初霜は12月以降となっています。現代の感覚ではやや早めの印象ですが、かつては東京でも、この頃には霜が降りていたのでしょう。

ちなみに「地始凍」は長慶年間(821~ 824年)に発布された中国の宣命暦の元祖七十二候から変わらないもので、当時の都の長安(現在の西安市)も、やはりこの時期に霜が降り始めるようです。


11月におこなわれるハロウィーンの原型の祭りとは?

少し時期が過ぎてしまった話題ではありますが、今年のハロウィーンの狂騒はどなたも記憶に新しいかと思います。ハロウィーン商戦の規模が数年前から頭打ちまたは縮小傾向だったこともあり、筆者は今年の渋谷はさほど盛り上がりを見せないのではないか、と考えていました。が、事実は逆で、過激さはむしろ増幅してしまったようでした。

こうなると「そもそもハロウィーンとは…」とお説教をはじめる大人たちも増えてきて、ハロウィーンの起源がもともとはケルト民族の収穫祭で、かつては11月1日が一年の始まりであり、その前夜の10月31日の夜にあの世の悪霊も地上に現れるとされたから、魔物たちに人間とばれて襲われないように仮装するのだ、なんていう薀蓄も、かなり広く知られるようになってきたのではないでしょうか。

けれども、どうしてかぼちゃのランタンを作るの?とか、どうしてお菓子をねだりに子供たちが町に繰り出すの?などの細かい風習の「なぜ」はそれでは説明できませんよね。実はこれらのハロウィーンのならわしは、期日も近いとある別のお祭りにこそ起源があるのです。それが聖マルタン祭(Martinsfest)です。毎年、11月11日がこの日に当たります。

その前夜、つまり11月10日の夜に、ドイツやベルギーなどの中部ヨーロッパの地方都市では、子供たちがカプやカボチャでつくった提灯に火をともし、白馬にまたがった聖マルティン(の仮装)を先頭に、マルティンを称える歌を歌いながら練り歩きます。行進が終わると、子供たちはいくつかのグループにわかれて近所の家々を訪ねて、玄関先で住人にお菓子をもらいます。

いかがでしょうか。聖マルティンの祭りこそ、ハロウィーンの原型だとおわかりいただけるかと思います。

ドイツ ケルンの聖マルティン聖堂

ドイツ ケルンの聖マルティン聖堂


禍々しき神・オーディンの祭りは聖マルティンの祭りへと変貌した

トゥールの聖マルティン (St. Martin de Tours  316 ~397年) はローマ帝国の軍人からトゥール(Tours フランス中部地方)地方の司教・修道僧となった、フランス国の兵士、手工芸職人、宿屋、農家、牧人、旅人、移民、囚人、貧者等、低い階層の労働者や恵まれない人々、身寄りのない人々の守護聖人で、ヨーロッパ全域で最も崇敬されている聖人です。死人を生き返らせたり不治の病を治したり、奇跡により異教徒を改宗させるなどさまざまなエピソードで知られていますが、もっとも象徴的なエピソードは、僧となる前の軍人時代に、ある寒い日、質素なマントをはおっただけのマルティンが城壁門を通りがかると、裸同然の貧者が、誰からも省みられる事なく震えていました。マルティンはマントを半分に切り裂き、凍えている貧者に着せてやりました。さてその夜、マルティンの夢に、半分に裂かれたマントを纏ったキリストが現れ、「マルティン、彼は私にこのマントを着せてくれた。」と語った、というもの。ここからわかるとおり、マルティンが慕われるのは、貧しい者、身寄りのない者たちの味方で常にあり続けたからでした。

東方教会(正教会)での聖マルタンの祝日は10月11日ですが、西方教会(カトリック)での聖マルタンの祝日は11月11日で、この日からクリスマスを迎えるための待降節(アドヴェント)が始まります。アドヴェントは「聖マルティンの40日間 Quadragesima Sancti Martini 」とも呼ばれ、かつてはこの日を境に厳しい斎戒の日がクリスマスまで続きました。このため、この夜は断食前の最後の飲み食いを楽しむためにガチョウや豚が屠られて食べられました。これは、飼料が乏しくなる冬の前に、家畜を屠る意味もありました。このような重要な日がマルティンの祭日にあてられ、また、聖人を特別に崇拝しないプロテスタント地域であるドイツでも崇拝され続けていることは、マルティンへの崇敬の深さと幅広さをうかがうことが出来ます。

ところで、この11月11日とは、本来はゲルマン民族にとって、戦争と死と知識を司り、嵐を起こす風神でもあり吟遊詩人の守り神であり、あらゆる魔法に通じた老賢者にして最高神のオーディン(ヴォータン Wotan)の祝祭日に当たりました。畏敬と同時に恐怖の対象でもあったオーディン。「元型」や「内向・外向」「集合無意識」などの概念を提示した精神科学の巨人・カール・G・ユングは、ナチスドイツのアドルフ・ヒトラーの講演を目の当たりにしたとき、「何と言うことだ。我々(ヨーロッパ人)が封印したはずの古代の神ヴォーダンがふたたび解き放たれてしまった」と述懐したというエピソードがあります。これは、ヨーロッパ人にとってオーディンがそれほど畏怖し恐怖する神であること、そしてヨーロッパが荒々しい古ゲルマンの神話世界から、文明的なキリスト教国へと生まれ変わったこと、その象徴としてオーディンの祭りが聖マルタンの日に入れ替わり、キリスト生誕の準備期間の初日となることでオーディンが封印されたと考えていることをあらわしているように思われます。

マルティンは祓魔師、つまりエクソシスト (exorcista)でもありました。魔封じの聖人であったからこそ魔物が地上に表れ出てくる11月10日の夜には、それを封じる聖マルティンの祭りがおこなわれ、それに影響を受けた万聖節(11月1日)の前夜も、ハロウィーンとしてそれをまねた行事がおこなわれるようになったのです。

クリスマスマーケット

クリスマスマーケット


暗い曇天が続く冬のヨーロッパ。吹きすさぶ夜空に現れる「ワイルドハント」とは

ヨーロッパは、大部分のアジアの国と比べて夏期は冷涼で過ごしやすいのですが、逆に冬期はずっと厳しい気候なのが普通です。日本と比べると緯度が高く、南仏やイタリア、スペインなどの南欧も、日本の本州よりずっと北に位置しています。緯度が高いために季節による昼夜の差が大きく、夏前後は日の出が早く日没も遅いのですが、冬は逆に日中の時間が極端に短くなります。朝の九時ごろまで薄暗く、午後四時ごろには真っ暗になるような期間が続きますし、北欧ともなるとほとんど太陽が昇らなくなります。天候も不順で、連日のように曇天や雨の日、そしてときに嵐が訪れます。

ヨーロッパ人にとっては、そうした厳しい冬を恐れ、太陽の光が再びさんさんと降り注ぐ春を待ち望む気持ちは、晩秋や冬の季節にもさまざまな楽しみを見出す私たち日本人よりも遥かに強いといえるでしょう。

人々の冬に対する恐れは、その鈍く荒れた空に禍々しい魔物たちの集団を幻視するようになります。これがワイルドハント(wild hunt)で、別名「オーディンの渡り」「オーディンの狩猟団」とも呼ばれます。八本足の軍馬にまたがったオーディンを中心に、魔物や妖怪、精霊、魔犬、悪鬼などがつらなり、雷鳴、胸を引き裂くような金切り声や騒音を立てて空を渡っていくといわれ、目撃されるのは10月31日(ハロウィーン)からイースターの頃まで、特に冬至ごろまでに集中するといわれます。ワイルドハントの一団は、死が迫った者を連れ去ってしまったりもしますが、心が純粋な者や子供たちには施しをしていくともされ、子供たちが干草の中にブーツや靴下を忍ばせておくと、その中にお菓子を置いて去っていく、という信仰もありました。そう、オーディンの渡りは、あのトナカイに乗って空を駆けるサンタクロースの元型でもあるのです。

マルティンが貧者にマントを分け与えるエピソードも思い出していただきたいのですが、冬の始まりにあたるこの時期の祭り・信仰に通低するものは、分かち合いと施しをうながす精神です。ハロウィーンの子供たちにお菓子をプレゼントする風習も、クリスマスのプレゼントも、厳しい冬を迎えて互いに、特に貧しく恵まれないものに施しをすることの大切さを教えるものなのです。

かわいいもの、きれいなもの、好ましいものに優しくしたり分かち合うことはたやすいことです。一見恐ろしいもの、醜いもの、惨めなもの達にこそ施しと分かち合いをすべきであり、それらを遠ざけてはならない、という原始信仰・宗教の厳しい覚悟と義侠心に満ちた教訓が、恐ろしい神・オーディンの中に秘められているように感じませんか?

サンタクロースが駆け抜けそうな空

サンタクロースが駆け抜けそうな空

嵐は窓ガラスを打ち 夜はベッドの足元に立つ。

恐れを入れなさい 苦しみを入れなさい

梢をふりあげて唸る樹々を入れなさい

今夜 北風を入れなさい。

私のドアを叩く 名前も形もない力を入れなさい

氷を入れなさい、雪を入れなさい、

荒野で咆えている妖精バンシーを、

むきだした丘の中腹のわらびの群れを、

今夜、死者を入れなさい。

堤防の後ろで口笛を吹いている幽霊を、

泥の中で腐る死人を、

群がっている先祖たちを入れなさい

果たされなかった願望を、

死んだ男爵の霊を入れなさい

今夜、生まれなかったものを入れなさい。 (「ノーサンブリア連詩Ⅳ」より抜粋 キャスリン・レイン)

この強烈に巫女的な詩を詠んだイギリスの詩人・キャスリン・レインがタイトルにつけている「ノーサンブリア」とは、7世紀から10世紀頃イギリスに存在した古代王国・ノーサンブリア王国(Norþanhymbra rīce)のこと。この王国には二つの王家が存在し、その始祖はオーディンの双子の息子ベルデーグとウェグデーグであったという伝承があります。ここでもオーディンと出会います。

私たちが木枯らしと呼び習わす冬の厳風の中に、ヨーロッパ人は今もオーディンの姿を見ているのかもしれませんね。



参照

愛の詩集 (平井照敏・編 永田書房)

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