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南天の実のゆんらりゆらりと鳥の立つー10月30日は紅葉忌


10月30日は尾崎紅葉の忌日です。35歳という若さで亡くなった尾崎紅葉(1868~1903)は、『金色夜叉』で知られた明治期の小説家。絢爛たる雅俗折衷文体で当時大変な人気を呼び、新派俳壇のリーダーとしても活躍しました。知られざる尾崎紅葉の俳句で、秋を探索してみましょう。


明治期の大ヒット作『金色夜叉』

尾崎紅葉は慶応三年、大政奉還のすぐ後に生まれました。ちなみに正岡子規、夏目漱石、南方熊楠、幸田露伴も同い年生まれです。近代最初の小説結社を結成し、創刊した機関誌、「我楽多(がらくた)文庫」も好評となった紅葉。東京帝国大学在学中に小説記者として読売新聞に入社して、女性風俗を写実的に描いた作品を次々に発表します。若くして明治文壇の大御所となった紅葉は、泉鏡花や徳田秋声ら、多くの門下生を育てました。特に泉鏡花の紅葉への崇拝と献身ぶりは有名で、そのエピソードは語り継がれています。

紅葉は、前期には井原西鶴の影響を受け、後に近代ヨーロッパ文学や『源氏物語』を研究し、心理描写に注力していったとされています。その結晶が、写実主義の最高作で、意義深い言文一致体の小説として名高い『金色夜叉』。1897(明治30)年から新聞連載されたこの小説は、資産家との結婚を選んだ許嫁のお宮に裏切られたとして、主人公貫一が、高利貸しとなって復讐しようとする物語です。

熱海の「貫一お宮像」

熱海の「貫一お宮像」


紅葉忌金がたきの恋今も

当時は日清戦争後の、日本が資本主義社会に驀進する途上でした。いわば格差が進む中、「愛とお金」をテーマに登場したお宮と貫一の物語は、時代に合致して大ヒット。紅葉の死で未完に終りましたが、物語はその後繰り返し映画化、劇化、ドラマ化されています。熱海で貫一がお宮に言い放つ、「来年の今月今夜になったならば、僕の涙で必ず月は曇らして見せる」の台詞が有名です。

そんな尾崎紅葉の忌日に、こんな句が寄せられています。



・難題を課してたのしむ紅葉忌

〈山口青邨〉

・吉原は菊の盛りや紅葉忌

〈増田龍雨〉

・紅葉忌舞台の裏に修しけり

〈石川春象〉

・紅葉忌金がたきの恋今も

〈渋沢渋亭〉

熱海 お宮の松

熱海 お宮の松


化けそうな茶釜もあるや榾の宿

俳句結社を結成し、正岡子規たちに対抗心も燃やした尾崎紅葉。俳号は十千萬堂で、紅葉忌は十千萬堂忌とも呼ばれます。紅葉の俳風は、当初は談林調で、滑稽趣味を特徴とする自由奔放なものでした。そんな雰囲気の紅葉の句をいくつか挙げてみます。



・年玉やものものしくも紙二帖

・家に窓窓に雨ある若葉哉

・化けそうな茶釜もあるや榾の宿

「榾(ほた/ほだ)」は、大きな材木、または薪の意味で、冬の季語。温泉宿でしょうか、ユーモラスな描写です。



・芋虫の雨を聴き居る葉裏哉

・泣いて行くウェルテルに逢ふ朧哉

『若きウェルテルの悩み』を思い起こしたのでしょう。



一部の作品には前衛的と評されることもある紅葉の句ですが、さすがは一世を風靡した人気作家。瑞々しく情景が浮かぶ作品が並びます。


鍋焼の火をとろくして語るかな

紅葉の俳句は、晩年には日本派風な正調が中心となり、新派作家としての風格を備えるに至ったとされています。辞世の句は、「死なば秋 露の干ぬ間ぞおもしろき」。末期の紅葉は筆が持てず、口述筆記で弟子に書き留めさせていました。

では最後に、尾崎紅葉がまさに紅葉の季節、秋を詠んだ俳句をどうぞ。



・鍋焼の火をとろくして語るかな

・秋を出て夕暮通る舟一つ

・鬼燈も紅葉しにけり緋金巾

・星既に秋の眼をひらきけり

・秋もはやさらばさらばと落し水

・南天の実のゆんらりゆらりと鳥の立つ





【句の引用と参考文献】

『ザ・俳句十万人歳時記 秋』(第三書館)

『現代俳句大事典』 (三省堂)

尾崎紅葉(著)『紅葉全集〈第9巻〉俳句・初期詩文』(岩波書店)

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