9月15日は「老人の日」。あまり聞きなれない記念日ですが、祝日「敬老の日」制定ともかかわりがあります。独居や社会保障・医療費など、社会問題として語られがちな高齢者。でも、超高齢化社会はもう訪れています。老いること、そして若い世代にとっての老人の役割とは何か、伝承や昔話から考えます。
「姥捨て山」はほんとにあった?なかった?
「老人の日」の起源は戦後間もない昭和22年。兵庫県野間谷村(現・多可町)で、終戦後の焼け野原で意気消沈しているお年寄りを励ますための行事が9月15日に開催されました。そしてその三年後には兵庫県がこの日を老人福祉の意識向上のために「としよりの日」と制定しました。昭和38年の老人福祉法発布とともに「としよりの日」は、よりイメージよく「老人の日」と改められます。さらに昭和41年に「老人の日」が「敬老の日」として、老人を敬い感謝する祝日となりました。このとき「老人の日」はいったん消えましたが、平成13年の老人福祉法改定とともに、再び同日が「老人の日」に。この日から一週間を「老人週間」として定められました。その後、「敬老の日」が9月第三月曜日の移動祝日となり、「敬老の日」と「老人の日」は完全に分離された記念日となったのです。
戦後一貫して伸びてきた日本人の平均寿命。その大きな理由が公衆衛生、医療技術、食生活の向上にあることは確かですが、老人福祉法に基づく高齢者への配慮も一定の効果が在ったものと思われます。統計が開始された1947(昭和22)年の平均寿命は、男性が50.06歳、女性が53.96歳でした。それが2017年の日本人の平均寿命は、男性81.09歳、女性87.26歳と、終戦直後から30年以上延びていて、世界的にもトップクラスの長寿国であることはご存知の通りです。
さて、そんな日本、かつて上代や中世、そして近世の頃には貧しい寒村で「棄老」と呼ばれる風習が行われていたという伝説も残っています。いわゆる昔話の「姥捨て山」や、その伝説を下敷きにした深沢七郎の「楢山節考」(1957年)などで、特に戦後、「昔は貧しい村では口減らしのために、年取った両親を息子が山奥に捨てる風習があった」、と素朴に思い込まされ、海外でも日本には棄老習慣があった、と今も信じられているようです。
けれども、実際にはそのような習慣・風習があったという明確な記録はなく、また山奥に老人を捨てるという行為の合理的な理由があまりなく、単なる言い伝え、俗説の類であろうと今では考えられています。長野県の冠着山は「姨捨山」(おばすてやま)という異名があるため、その山が棄老の山である、といつしか信じられるようにもなりましたが、ここもまったくそういう山ではなく、「おばすて」は地形を表す地名が由来。
姥捨て山伝説の起源はインドで、インドから中国を経て日本にも伝わり、「大和物語」(天暦5年・ 951年頃) や「今昔物語集(1110~24年頃)」に、棄老についての説話が語られます。これは史実と言うよりも、珍しい言い伝えとして記載されているものです。世界にもヨーロッパや中央アジア、イスラム圏に棄老伝説は多く残り、伝説、昔話の一つの類型として成立し、やがて仏教や儒教の親・老人を大切にする道徳教育の物語として、定着していったもののようです。
では、本当に姥捨てと言う行為はなかったのでしょうか。南方熊楠の「棄老伝説に就て」(大正7年)では、
誰も知つた信州 姨捨山の話の外に伊豆にも棄老傳説があると云ふのは棄てられた老人には氣の毒だが、史乘に見えぬ古俗を研究する人々には有益だ。(中略)高原舊事に、「飛騨の吉野村の下に人落しと云ふ所あり。昔は六十二歳に限り此所へ棄てしと云ふ」とある。
と、静岡県の伊豆地方には棄老伝承があり、また岐阜県の飛騨地方、吉野村には「人落し」という崖があって、62歳になるとそこから落とされたといううわさがあることも記しています。このような記述からは、けっしてどこでも当たり前のように行われていたわけではないが、ときにある地域で行われていたこともあったかもしれない、ということもうかがわせます。
いずれにしても、基本的にはご隠居が山奥に捨てられる、というようなことは、めったにあることではなかったようです。
翁と童の往還・どうして昔話には老夫婦ばかり?
とはいえ、生産労働や子作りの第一線から退いた老人世代が、共同体の中で隅に追いやられ、放置されがちになるということは、現代と同様昔からありがちだったのは事実のようです。
そして、社会・共同体の中心からはずれた位置に追いやられるという事は、人間社会のしがらみや風習から自由となり、人間界の外の世界に接する境界ポジションの住人となった、という意味でもあります。
昔話にはまるで決まっていることのように「おじいさんとおばあさん」がまず登場し、不思議な物語が始まるというパターンが実に多いのはこのためです。おじいさんとおばあさんがたった二人で暮らしていると、そこに桃が流れてきて桃太郎が、瓜が流れてきて瓜子姫が、福をもたらす子犬が流れてきてポチが、輝く竹を切るとかぐや姫が、神に祈ると一寸法師が、と、マレビト(稀人・客人)が異界から老夫婦の下にやってきて、そこで育つのです。
考えてみればそもそも新生児、幼子というものはどんな子であっても人間世界の外からやってきて、人間界のルールも常識も知らない異界・異形の存在です。若い夫婦ならこの幼子にすぐに徹底的に人間らしい振る舞いを叩き込み、「普通の人間」に仕立て上げてしまいます。でも、おじいさんおばあさんは、そこまで徹底しません。子供が自由に育つがままに任せ、どこか異形のものの姿をとどめたまま大きくなり、やがて人並みはずれた働きをする、まさに「たぐい稀な人」へと成長するのです。老人と幼子という人生、人間界の端と端に位置するものが呼応しあって、異界の力は人間社会にも還元され、世界を硬直や衰退から救う。こうした構造や役割、関係性を、昔の人はよく知っていたのでしょう。
もっとも、昔話で「おじいさんとおばあさん」と表現されている夫婦が案外若いのも驚きです。一寸法師のおじいさんとおばあさんははっきり「四十歳」と書かれていますし、かぐや姫のおじいさんは竹取物語の原文から、アラフィフくらいと推定されています。今なら、その年齢で親になる人も珍しくはないですが、労働が過酷で栄養も乏しかった時代、年老いるのも早かったのでしょう。
寿命はどこまで伸ばせる?アンチエイジングの今後は
文明社会の進歩とともに、寿命が延びてきた人間ですが、これからも伸び続けるものなのでしょうか。今まではっきり記録が残っている最長寿は122歳。そして、人類の寿命の限界は、おおよそ115歳である、と言う説もあります。が、一方で105歳を超えると逆に死亡率が下がり、人類の寿命の上限はまだはっきりしていない、と言う説もあります。
かつて、地球を分厚い水蒸気層が覆っていた、という仮説があります。上層の水蒸気圏によって地表は有害な宇宙線から守られ、また気圧が高い状態となり、生命は今よりもずっと長寿であった、というのです。荒唐無稽のように思われる向きもあるでしょうが、現在見つかっている中生代の巨大翼竜や巨大な雷竜の存在は、現代の気圧や重力をもとにして考えると、飛べもしないし歩けもしない、と言うことになってしまいますが、間違いなく彼らは歩き、飛んでいたわけですから、当時の気圧が今よりずっと高かったと考えると、説明がつくのです。
聖書などの古い神話で語られる大洪水神話は、その水蒸気層(water vapor canopy)の崩壊を意味するともいわれます。だからなのか、ノア以前の人間たちは皆長寿で、アダムからノアにいたる系譜では、ほとんど1000歳近くまで生きたと記述されています。人生が1000年あったとしたら、どれだけのことができるだろう、と夢が膨らみますね。退屈で死んでしまう人ももしかしたらいるでしょうか?
それはともかく、生命の寿命は、細胞分裂に関わる染色体の帯の両端にあるテロメアという塩基物質の紐の長さによると言われています。細胞分裂をして染色体がコピーされるたびに少しずつこの紐の長さが短くなっていきますが、このテロメア、ストレスなどのダメージや暴飲暴食によっても短くなり、また逆に、ヨガの瞑想や有酸素運動、海産物と豆類中心の食事や7時間以上の睡眠によって伸びる、ということもわかってきたようです。まだまだ謎の多いテロメアですが、今後研究が進むと、健康長寿の人が増えるかもしれませんね。
老人の日・老人週間
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