1945(昭和20)年8月15日、日本はポツダム宣言を無条件で受諾し、終戦の詔勅が宣布されて第二次世界大戦が終結しました。この日を「終戦記念日」として、戦争の根絶と平和を誓い、戦没された方々を追悼する催しが全国各地で行われます。この日を詠み、そして戦争と平和に思いを巡らせた句を探ります。
水脈の果て炎天の墓碑を置きて去る
まずは、前衛俳句の旗手として戦後俳壇を牽引し、今年2月に亡くなった金子兜太さんの、反戦の句をご紹介します。金子さんは戦時中、海軍主計将校としてミクロネシア・トラック島に赴きます。同輩・後輩の死、餓死者の続出。戦時中の悲惨な体験を経て、金子さんは「亡くなった仲間のためにも戦争のない世の中をつくろう」と決意し、終生創作や活動に反映し続けました。
・水脈(みお)の果て炎天の墓碑を置きて去る
1946年の引き揚げの際に、遠ざかる島を艦上から見つめて詠まれた句です。
・黒い桜島折れた銃床海を走り
・沖縄を見殺しにするな春怒濤
・相思樹空に地にしみてひめゆりの声は
金子さんは、戦後訪れた各地で平和への思いを表現しました。上記の沖縄についての二句も、晩年のもの。沖縄では、戦争末期の1945年4月から3ヶ月間の地上戦となった沖縄戦の、終結した6月23日を「慰霊の日」としています。この日を表した「沖縄忌」は、夏の季語。立秋を過ぎた終戦記念日は、初秋の季語となります。俳句に圧縮された情報は、私たちが昭和20年の沖縄の春、夏、秋に思いを巡らすことを助けてくれるのです。
・彎曲(わんきょく)し火傷し爆心地のマラソン
最後の句は、戦後10年以上を経て、金子さんが長崎勤務時代に創作し、代表作の一つとなったもの。眼前のマラソンの列、自身の記憶、原爆への怒り、長崎の人々への眼差しが、破調のリズム感とともに表現されています。
来てみれば特攻基地の猫じゃらし
次にご紹介するのは、角川春樹さんの「知覧・加世田特攻基地」と詞書が添えられた句です。戦局の悪化とともに、1945年春から特攻作戦の最大の基地となった、知覧特攻基地跡地(南九州市)に知覧特攻平和会館、陸軍最後の特攻基地である万世(ばんせい)飛行場跡地(南さつま市)に、万世特攻平和祈念館があります。これらの基地から、特攻隊員が沖縄の空へと飛び立っていきました。
・来てみれば特攻基地の猫じゃらし
・沙羅の花月光を弾く学徒兵
・蛍にも神にもなれず蝉時雨
・晩夏光昭和の遺書を閉ぢにけり
・赤とんぼ特攻基地に誰もゐず
「猫じゃらし」は、別名狗尾草・犬ころ草などとも言われる植物で、秋の季語。全国の何処でも見かけることができます。当時の特攻基地でも、風に吹かれていたのでしょうか。
堪ふる事いまは暑のみや終戦日
最後は、終戦記念日を描いた作品群を思い起こして、追悼といたします。何気ない日常に描かれる、誰もが共有する、平和への願い。改めて、戦争のない世界を祈念する一日としたいものですね。
・終戦日妻子入れむと風呂洗ふ
〈秋元不死男〉
・堪ふる事いまは暑のみや終戦日
〈及川 貞 〉
・終戦日沖に流るる雲ばかり
〈渡邊千枝子〉
・終戦日風の行方のくさかげろふ
〈有馬籌子〉
・遺されし母も逝きけり終戦日
〈古賀まり子〉
・終戦日その夜の母の子守歌
〈松尾節朗〉
【句の引用と参考文献】
『新日本大歳時記 カラー版 秋』(講談社)
『カラー図説 日本大歳時記 秋』(講談社)
『第三版 俳句歳時記〈秋の部〉』(角川書店)
黒田 杏子 (著・編集) 金子 兜太 (著)『存在者 金子兜太』(藤原書店)
角川 春樹 (著) 『JAPAN―句集』(文学の森)