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王子さまは星に帰れたのでしょうか?7月31日・サン=テグジュペリが地中海に消えた日


第二次世界大戦の戦火がますます激しくなっていた1944年。7月31日のこの日、コルシカ島から飛び立った自由フランス空軍の一機の偵察機が、地中海マルセイユ沖でドイツ軍の戦闘機により撃墜され、地中海に没しました。偵察機に乗っていたのは著名な作家で操縦士でもあったアントワーヌ・マリー・ロジェ・ド・サン=テグジュペリ(Antoine Marie Roger de Saint-Exupéry)。「夜間飛行(Vol de Nuit)」や「南方郵便機(Courrier Sud)」、そしてあの有名な「童話」である「星の王子さま(Le Petit Prince)」の著者であるサン=テグジュペリです。


「王子さま」の生みの親・飛行士サン=テグジュペリとは?

サン=テグジュペリは1900年に、フランス中部の都市、リヨンの地方貴族の家系に5人兄弟の3番目として生まれました。12歳の夏休み、はじめて飛行機に搭乗体験をし、その体験をもとにした詩や、作文では才を発揮しましたが、総体的にはあまり成績はよくなく、ぼんやりとした性格と思われていたようです。勉強が苦手なため、志望していた海軍兵学校にも不合格になっています。21歳のときに兵役で航空部隊に配属され、除隊後はセールスマンなどをしていましたが、26歳のときに「南方郵便機」で作家デビュー。

当時、航空機便時代の黎明期としてアフリカ、南米などへの航空郵便の新路線開発が盛んになっており、サン=テグジュペリも航空会社に操縦士として就任、ヨーロッパとアフリカ、南米の空路開発に尽力しました。

以降、「夜間飛行」「人間の土地(Terre des Hommes)」等を著し、ベストセラー作家となってプルースト、ジッド、カミュ、セリーヌ、ジュネ、コクトー…と錚々たる二十世紀フランス文学の顔ぶれの中でも燦然と輝く星の一人としてその名をとどめています。

特にもっとも有名で、その代名詞とも言ってもいい「星の王子さまLe Petit Prince」は、彼の44年の生涯のほとんど「晩年」、43歳のときの作品。当時、ドイツと講和(降伏)し、傀儡のヴィシー政権でかろうじて主権国家の体面を保っていた母国フランスから、亡命したアメリカで書き上げられ、アメリカの出版社から出版されました。

星の王子様ミュージアム

星の王子様ミュージアム


数々の矛盾をかかえたエキセントリックな王子さま。その言動にはどんな意味が?

「星の王子さま」を、その有名な挿絵は知っていても、内容は未読の方のためにごくおおざっぱにあらすじを解説しておきます。

飛行機のパイロットである物語の語り手「ぼく」は、あるとき単独で飛行中飛行機が故障、サハラ砂漠のど真ん中に不時着します。途方にくれている「ぼく」のところに、その場に似つかわしくない華奢な金髪の少年が忽然と現れ、「羊の絵を描いてほしい」と話しかけてきます。自分の星に生えてくる雑草を食べてくれる羊がほしいのだ、と。話を聞くとその男の子ははるか宇宙の小惑星の一つが故郷の「王子さま」で、星に生えているたった一つの花であるバラの花と仲たがいして星を出奔、地球にたどり着いたのだが、ほぼ一年間地球に滞在して、残してきたバラに対する「責任」を果たすために再び故郷に戻ろうと考えているのだというのでした。「ぼく」は少年の語る不思議な身の上話を聞きながら、次第に心引かれていくのですが、少年がある決意をしていることにうすうす気づいていきます。男の子は、地球に落ちてきてちょうど一年目になるその日に、落ちた場所である「砂漠に隠された井戸」の場所で、毒蛇に咬まれて命を落とし、魂だけで星へ帰ろうと決意していたのでした…。

「おねがいします。ぼくに羊の絵を描いてよ」と唐突に語りかける登場の場面から、王子さまは終始一貫して情緒不安定でエキセントリックの塊です。かたや「ぼく」も、人間社会になじめず、自分の描いた「ゾウを飲み込んだ大蛇の絵」を、帽子だとしか見ない大人たちに絶望しているという一癖ある人物。王子さまは「ぼく」の描いた羊の絵をことごとく却下するのですが、困り果てた「ぼく」が空気穴の開いた小箱を描き、「この中に羊がいるよ」と言うと大喜びして覗き込み、大層気に入るのです。そんなかわいい、無邪気な王子さまですが、ところが、ときに実に老成した変な発言をするのです。王子さまは「ぼく」の言動が「くだらない大人みたいな口の聞き方だ」とかんしゃくを起こしたりしますが、正真正銘の子供ならば、相手が大人じみている、と非難したりはしないでしょう。その意味でも、王子さまは生粋の子供ではないのです。かと言って大人でも、老人でもない。

「花の言うことなんか聞く必要なかったんだ。(中略)ぼくは全然理解できてなかった!言葉じゃなくて行いで判断すべきだった。彼女は星を香りで満たして、ぼくを晴れやかにしてくれた。ぼくは決して逃げ出すべきじゃなかった!彼女の哀れなずる賢さの背後に隠れている優しさに気づくべきだった。花ってものはとても矛盾しているものなんだから!でも、そうやって彼女を愛するべきだったと知るには、ぼくはあまりにも若すぎたんだ」

ここでは、子供であるはずの王子さまは、自分の星に置きざりにしてきたバラのことについて、なぜか恋人または妻との関係の拗れで悩む成人男性であるかのように語りだし、「自分は彼女を理解するのには若すぎた」などというのです。

このバラには実際にモデルがいました。南米エルサルバドルの女流作家で妻のコンスエロです。サン=テグジュペリとは30歳のときにアルゼンチンのブエノスアイレスで知り合い、一目で恋に落ちたといわれています。それ以降の死までの14年間、二人は添い遂げていますが、わがままで贅沢なコンスエロの振る舞いは、サン=テグジュペリ側からすると彼を傷つけ憔悴させたようです。コンスエロ側も、後年「バラの回想」という回顧録の中で、生粋の飛行機乗りで地上に居場所が無いかのように所在なげで、何事につけ不器用で自分勝手なサン=テグジュペリに翻弄され、言い寄る女たちとの不倫にも苦しめられた、と振り返っています。家庭内別居や完全な別居も繰り返していて、この二人の関係が、そのまま物語の王子さまとバラの花に置き換えられているのです。

このように理解すれば、王子さまが地球に来て庭園で出会った5000本のバラは、サン=テグジュペリの数々の浮気相手たちであり、王子さまがその地を立ち去るときにその何の罪も無いバラたちに「君たちは空っぽで誰にも愛されていない」と冷たく言い放つ不可解な箇所の理由も、コンスエロへの贖罪とけじめのために必要だったくだりだとわかります。

サハラ砂漠

サハラ砂漠


「星の王子さま」には男性しか登場しない⁉

無辜なバラたちに「君たちは空っぽだ」と言えと進言したのは、「ぼく」をのぞけば王子さまの地球上での唯一の友人のキツネです。このキツネは「星の王子さま」の出版にも関わった愛人兼パトロンヌのエレーヌ・ド・ヴォギュエ(サン=テグジュペリは「ネリー」と呼んでいたようです)がモデルといわれます。キツネは数々の賢しげな人生教訓を王子さまにさずけますが、物語中一番の名言として有名な「大切なことは目に見えない」も、キツネが王子さまに語る言葉です。

指摘する論者が見当たらないのですが、「星の王子さま」に出てくる登場人物は、重要な役から端役まで、すべて男性です。意外な感じがしませんか?でも事実、人間の登場人物はすべて男性です。女性とおぼしきキャラクターは花として登場します(キツネは愛人エレーヌがモデルではありますが、本人が男性名で作家として活躍していたのにあわせるように、オスギツネとして登場します。)。これはどうしてでしょうか。

訳者の堀口大學が「夜間飛行」のあとがきで「彼の心性は武士であり、その行動が英雄であることは、彼を知るほどのあらゆる人々の認めるところである」と記し、「南方郵便機」の序文を書いたアンドレ・ブークレルは、「サン=テグジュペリは、寡黙な、遠慮深い、長身の青年だ。人が彼について何を言おうと、少しも彼は感動しない。理由は、彼の肉体が、恐怖に対して不感であると同時に、賞賛に対しても不感だからだ。」と記し、サン=テグジュペリという人物が、危地をものともせずに飛び込むきわめて大胆な勇士であり、一言で言えば「男の中の男」として彼を知るものに賛嘆されていたことをうかがわせます。

キツネは王子さまにこういいます。

「忘れたらいけないよ。君は自分が飼いならしたものに対して常に責任を負わなくちゃいけないんだ。君は、君のバラに責任を負っているんだよ」

王子さまにとってはバラは飼いならした(飼っている)ものであり、飼った以上は責任をまっとうしなくてはいけない、と言うのです。互いに対等に相手を支え、頼りあう伴侶ではなく、王子さま(男性であるサン=テグジュペリ)にとってはバラ(女性)は自分が守ってやらなくてはならない「か弱い存在」であり続けるのです。だからこそ、もう戻れないということを内心では知っている王子さまは、せめてもの贖罪にとヘビに咬まれてこの世を去るのです。

バオバブの木

バオバブの木


海底から発見された「バラ」の正体

1998年、長い間「行方不明」とされてきたサン=テグジュペリの搭乗機が、ついにマルセイユ沖のマン島海域の海底から発見されます。発見されたブレスレットには、サン=テグジュペリ本人の名と、妻コンスエロの名が刻まれていました。彼にとっての「バラ」の名が、そこに刻まれていたのでした。

サン=テグジュペリは、祖国フランスと「星の王子さま」の献辞を捧げた親友であるユダヤ人のレオン・ヴェルト(その二つもまた、彼にとっては守るべきバラでした)を脅かす、三本の悪しきバオバブに喩えられたドイツ、イタリア、日本の枢軸国を倒すため、自由フランス軍の偵察機に乗り込み、コルシカ島から発進します。それは英雄とたたえられた彼の性情としては当然の行動でした。まるでそれは、自分の故郷の一本のバラを守るために命を落とした王子さまとまったく同じ行為だったといえるでしょう。44歳と言う年齢は、既に操縦士としての停年間際でした。

サン=テグジュペリは軍に所属する際には常に最前線を希望し、危地で率先して働きました。けれども戦闘機には乗ることは常に拒否したといわれます。、彼の「勇気」が「悪いやつをやっつけてやる」というありがちの蛮勇ではなく、ただ自分が出来る正しい行いを遂行し、愛するものを全力で守る、その思いだけだったのでしょう。



星の王子さま (サン=テグジュペリ 内藤濯訳 岩波文庫)

夜間飛行 (サン=テグジュペリ 堀口大學訳 新潮文庫)

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