4月20日より二十四節気は「穀雨(こくう)」となります。暦的には晩春の後半。これより立夏までの半月、芽を吹き出した木々の新緑が輝き、明るい春の花が次々に咲き出して、一年でもっとも美しい時期といえるでしょう。二十四節気の故郷中国の黄河中下流域、すなわち中原では、種まきの時期にあたるこのころにちょうど恵みの雨が降る季節で、これを「百穀を潤す慈雨」=「百穀春雨」ととらえ、「穀雨」としました。降雨の多い日本では逆にこの時期は比較的安定した晴天が続き、レジャーシーズンであると同時に、農家では田植えの準備に田をならし水を張る、本格的な農作業のはじまりの時期でもあります。
野山は今こそ花の盛りです。見ずにいるのはもったいない!
桜(ソメイヨシノ)の花が散ると春は終わった、とばかりになるのは近頃の日本人の悪いクセですが、むしろ今ほど野山の木々の花がにぎやかになる時期は他にありません。ウツギ、ウワミズザクラ、ヤマツツジ、ヤマブキなどなど、目を引く美しい花が数多く、目を奪われます。かたや足元に目を向けても、さまざまな野の花が見られる季節です。ちょっと気をつけて近場をハイキングすればこの時期見つけられる、美しく風情のある花をいくつかご紹介しましょう。
ジュウニヒトエ(Ajuga nipponensis)
その名はお分かりのごとく、王朝貴族の十二単衣からとられています。産毛に覆われたやさしい薄いピンクの花弁が何層にも折り重なるさまを、そのように連想した花です。森の斜面の草地など半日陰の環境を好みます。群生することが多いので、ひとつ見つけたら、周囲にもっとたくさん見つかるはずです。
濃い紫の園芸品種セイヨウジュウニヒトエも出回っていますが、淡い色の日本固有種の美しさは格別ですので、ぜひさがしてみてください。
ホタルカズラ((Lithospermum zollingeri )
オオイヌノフグリやツユクサも鮮やかな青い花ですが、春ののどかなあたたかい青空のようなこの花に勝る青はないでしょう。花自体は決して大きな花ではなく、道端の草地に地味に繁殖する植物ですが、少し離れた場所からも、緑の中にピーンと輝いて見えるようなその青を、名づけた人はホタルになぞらえたのでしょう。
オドリコソウ(Lamium album var. barbatum)
ヒメオドリコソウは、どこにでも生えていますが、本家オドリコソウは「ヒメ」よりずっと大きく、さらさらと春風にゆれる様は、「踊り子」という名にふさわしい風情です。山奥よりは人里を好む植物で、日当たりのよい草原の片隅に群生しているのを見ることができます。
春の錯乱?宣命暦穀雨第二候・第三候の俗説大混乱
のどかで楽しい春ですが、一方で青嵐という言葉もあるように、春、木の芽時は撹乱・錯乱も生じやすい時期。
「穀雨」の七十二候三候は、和暦では順序の入れ替えがあるものの、「葭始生(あしはじめてしょうず)」「霜止出苗(しもやみてなえいずる)」「牡丹華(ぼたんはなさく)」で統一されています。特に問題のない、無難といえば無難な三候です。
かたや中国宣命暦は、おなじみ礼記月令からの出典によるもので、初候の「萍始生(うきくさはじめてしょうず)」は、水がぬるみ、水草も生えるほどになった季節変化をあらわしているものですが、次候「鳴鳩払其羽(めいきゅうそのはねをはらう)」と末候「戴勝降于桑(たいしょうくわにくだる)」、この二候は大問題。
何が問題かというと、日本でのこの両候についての解説(読み下し)が明らかに変で混乱していること。そして、その解釈のおかしさや混乱は、この両候の解釈がどこかで入り混じり、部分的に取り違えられ、生じたものなのではないか、と考えられるのです。
順を追って説明しましょう。
「鳴鳩払其羽」とは、「『鳴鳩』が羽をふるって飛び立つ準備をする」といった意味。この「鳴鳩」は、「クルッポーと鳴いているハト」という意味ではありません。中国古典では、鳩には五鳩あり、といわれ、ハトとはまったく関係のないサンジャク (山鵲 Urocissa erythrorhyncha)や、カッコウ(郭公 Cuculus canorus)、イカル(鵤 斑鳩 Eophona personata)、果てはハヤブサ(隼 鶻 Falco peregrinus)ミサゴ(雎鳩 雎 Pandion haliaetus)などの猛禽までもが「鳩」という字をあてられることがあるのです。現在では、五鳩のどれがどの鳥に当たるのか不明なことも多く、「鳴鳩」という鳥についても、はっきりとこの鳥である、ということが同定できずいくつかの説があります。1821年に記された春木煥光「七十二候鳥獣虫魚草木略解」では、この候についての解説で
鳴鳩ハ本草ニ 鳲鳩ニ作ル 和名カツコウ ドクトウト鳴ナリ
と記し、鳴鳩をカッコウのこと、としています。煥光が書いているとおり、カッコウは五鳩の一種「鳲鳩」とされており、ここでは鳲鳩のことを鳴鳩と呼んでいる、といっているのです。煥光の記述には、ところどころおかしな部分もあるのですが、ここではスタンダードかつクレバーな解釈をしています。季節的にも、初夏から夏の鳥であるカッコウが羽をふるわせてアップの準備をはじめるというのは適切ですし、日本では五月ごろ飛来するカッコウですが、中国では留鳥ですから、その点でも不自然ではありません。ところが日本のネット界隈、ウェブ辞書では、これをそのままハトのことだとしたり、あるいはイカルである、とする説を取るのが主流です。カッコウはいったいどこに行ってしまったのでしょう。
次候のカッコウが末候にスライディング!そして……
末候の「戴勝降于桑(たいしょうくわにくだる)」。これは「『戴勝』が桑の木に降りてくる」という意味になります。「戴勝」とはまた聞きなれない名前ですが、それもそのはず、日本にはまれに漂鳥として確認される程度のヤツガシラ(八頭 Upupa epops)と呼ばれる珍しい鳥のことだからです。特徴は何と言っても頭の冠羽で、興奮すると逆毛だって、いくつにも割れたように見えることから「やつがしら」と名がつきました。ふたたび「七十二候鳥獣虫魚草木略解」をひもとけば、しっかりと
戴勝ハ俗ニ ヤツカシラト云 和産ナシ 舶来アリ 形鴻ニ類シテ長ク 目淡赤色 嘴細長クシテ
と記されています。「于」は「~へ」「~に」という意味であり、つまり「ヤツガシラが桑の木に降り立つ」という意味以外にないし、江戸期の人たちもちゃんと理解しているのですが、なぜか現代日本のネット上では、この候を「カッコウが桑の木に降って蚕を産む」という意味だ、と書いているのです。
おそらく、次候の「鳴鳩」、末候の「戴勝」、よくわからない鳥が連続して出てきて、それを調べるうちに、誰かが「鳴鳩はカッコウとの説がある。戴勝は・・・?」とやっているうちにとりちがえたのでしょうか。鳴鳩については、アオバトのことであるという説もあったり、あるいはトンデモ説の一種にはなるのですが、インドネシアやニューギニアに産する南国の非常に美しいハトの一種、カンムリバトを鳴鳩というのだ、という説もあったりして、カンムリバトの冠と、ヤツガシラの冠とがハレーションを起こして、いつの間にか戴勝がカッコウになってしまう、というバグが生じたのではないでしょうか。
それにしたところで、「蚕を生む」という部分がどこから来たのかは不明です。確かに宣命暦には、「腐草為蛍」(腐った草がホタルになる)「雉入大水為蜃」(キジが海に入り大ハマグリになる)など、奇想天外な候があるのは確かですが、変身シリーズはあっても(そしてそれには実は深い意味があります)、生き物が異類の生き物を産む、というような記述はありません。誰がどこでこのような珍説を思いついたのでしょうか。考えられるのは、戴勝は「戴胜」という別名もあり、この「胜」が、何を「生む」という意味で捉えられ、桑と言ったら蚕でしょ、ということになったのかもしれません。
こうした出所不明の俗説が生まれるのも世の常ですが、それが何の検証もされずに、多くのサイトでそのまま採用され、あたかも真実のように流布されてしまうことは問題です。筆者も解釈の間違いや浅読みの経験は数限りなくありますが、誰もがそうであるからこそ、書かれていることを安易にそのまま信じることは慎むべきではないでしょうか。