「春は名のみの風の寒さや・・・」早春賦に歌われるようになかなか寒さが抜けません。ことしはことさら春が待ち遠しいですね。開花宣言はされましたが桜もまだまだ。それでも「お花見いつごろできるかしら?」なんていう話でもりあがる時期ですね。花見が庶民に定着したのは江戸時代。お酒を飲んで歌って踊って、陽気にすごすにも春という季節ならではの理由があったようですよ。
桜の花に元気をもらって、花見は春の儀式!
「世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」と在原業平は『古今和歌集』で歌っていますが、桜がなかったら、のどかどころかどんなに寂しい春にになったことでしょう。やはり春を喜ぶ桜は日本人にはなくてはならないもの。その昔、農家の人はにとって桜は、山に住む田の神様をお呼びするためのものでもあったとか。神社やお寺の境内から桜の枝をもらってきて、水田の水を取り込む口に差しておく。すると花の美しさを目あてに田んぼの神様が山からおりてきて、秋に豊かな稔りをくださると信じていたからだそうです。素朴で真剣な農耕儀式はやがて、集落の人々が集まりみんなで豊作を祈るための、祝いの祭りへと変わっていったとようです。田の神様と一緒によろこぶことができれば、種籾を撒くところから始まる長い稲づくりの英気を養える、ということでしょう。
自然から命をもらおう! 江戸っ子の花見とは?
江戸で花見の名所といえば、今でも一番人気の上野は寛永寺。しかしここはお寺の境内。おおっぴらには飲んで食べて歌ってが許されなかったようです。そこへいくと八代将軍吉宗公がつくられた隅田川畔や、飛鳥山は庶民にとって気の置けない花見場所。無礼講がゆるされた飛鳥山はいつも大騒ぎだったそうですよ。
しかしなぜ? と思うことはありませんか。桜を愛でるなら花の下をみんなでそぞろ歩きするのが一番なのに、と。いいえこれにはきちんとした理由があったのです。盃に桜の花びらとともに花粉をうけて飲む、これです。花粉には生命を作り出す栄養がいっぱい詰まっていますね。私たちも小鳥が桜の花をついばんでいるのをよく見ることでしょう。蜂によって花粉が運ばれ、果実の実りを得ていることもまた知られていることです。江戸っ子にとって大きな盃で散りゆく花びらをうけて花粉と一緒に飲みほすことは、春を満喫するとともに自然から命をもらう、祝いの儀式でもあったということです。
桜の花の下で歌って踊ってのどんちゃん騒ぎには、ちゃんとわけがあったのですね。
花見弁当、実は江戸っ子の知恵が隠れてました
年に一度の贅沢な行楽でもあった江戸っ子の花見は、おかみさん連中が作った花見弁当。これに必ずといって入れたのが黒豆を甘く煮染めた座禅豆と卵焼きだそうです。
黒豆といえばお正月におせちでも頂きました。ではなぜお花見に黒豆なのでしょうか? 実は大豆に含まれるイソフラボン、そして黒豆の色素アントシアニンです。イソフラボンは尿意を抑える効果があるそうです。お坊さんが修行の座禅中に座を立つことがないように食べたといわれています。花見の最中の用足しも控えたかったのが江戸っ子の心意気だったのでしょうね。アントシアニンは今ではすっかり有名になりましたが、細胞の酸化を抑えて老化を防ぐ効果があります。春の紫外線を浴びる花見にはぜひ食べておきたいと思いませんか? 大豆をタンパク源にしてきた日本人の知恵を花見弁当にも感じることができますね。
落語『長屋の花見』は、お金がなくて卵を買えずに卵焼きの代わりに沢庵を持って行く、というエピソードには庶民の悲哀を感じます。卵焼きの輝く黄色はお弁当の華かも知れません。桜の咲く公園で、土手で水の流れを見ながら楽しむお弁当は、寒さから解放された春ならではのお楽しみ。最近では有名料亭などの豪華な花見弁当の予約も盛況のようです。特別な春には思いきって贅沢してみるのもいいですが、毎年のお楽しみでしたら、いつものおにぎりやおかずに春を感じさせる何かをプラスして、わくわく感を演出してみるのが気軽でいいかもしれません。
さあ、今年のお花見の計画が見えてきたでしょうか?
参考:『江戸めしのススメ』永山久夫