昨日、東京では日中の気温が20度近くに達し、春の気配を感じる一日になりました。コートを脱いで街を歩く人も多かったですね。しかし一転、今日は各地で冬の寒さが戻り、強い北風が吹いています。
1月から2月にかわりゆくこの時季は、まさに冬の「どまんなか」といった寒さですが、節分の翌日2月4日の「立春」は、二十四節気の最初の節。暦上ではこの日から春になります。
そこで今回は、春への期待が込められた詩歌をご紹介します。
寂しい雪のイメージ
1月中旬頃から2月にかけては最も冬らしい季節です。ただ、もともと「ふゆ」は「殖(ふ)ゆ=増える」とも関連した言葉で、厳しい寒さの中にも、ものみな増えゆく春への期待がそこはかとなく込められた季節でもあります。
最近、その結晶の美しさが話題になった雪を詠った詩歌を紹介しましょう。
まずは江戸後期の禅僧ながら、今でもその人柄をしたう人が多い、良寛の歌から……。
〈わが庵(いほ)は国上山(くがみやま)もとふゆごもりゆききのひとのあとさへぞなき〉良寛
〈のきも庭もふり埋めたる雪の中にいやめづらしき人のおとづれ〉良寛
〈君やわする道のかくるるこのごろは待てど暮らせどおとづれのなき〉良寛
〈世の中に同じ心の人もがなくくさのいほりに一夜かたらん〉良寛
良寛は後半生を故郷・越後の山の中腹にある粗末な庵で暮らしていました。
雪深く誰も訪ねてくれない、と嘆いています。ただ良寛の歌は、ほんのりと暖かく、良寛がけっして人間嫌いではないことを現しています。最後の歌の「人もがなく」は「人もいないものかなあ」という意味。
冬のもっとも大きな風物詩「雪」は、寂しさや厳しさ、憂愁を象徴する自然現象としてあります。
次の歌も雪と孤独を重ねて歌っています。
〈みよしのの山の白雪ふみわけて入りにし人のおとづれもせぬ〉壬生忠岑
また雪は、花や波と見立ててその美しさを感じるものでもありました。見てみれば、波頭の砕ける白さは雪と花のようではないかと詠っているのです。
〈波とのみ一つに聞けど色見れば雪と花とにまがひけるかな〉土佐日記
さまざまなイメージのシンボルとしての雪
一夜明けるとはかなく消えてしまう雪は、幻のような美しさの代表でもあります。特に「新古今和歌集」ではそのような歌が多く収められています。
〈駒とめて袖うちはらふかげもなし佐野のわたりの雪の夕暮〉藤原定家
馬を止めて袖の雪を払うようなものかげもない雪野の情景を歌っています。寂しいけれど、夕日に照らされて白い雪がほのかに染まるようすを想像してみると、まるで映画の一場面のような歌です。「佐野」は和歌山県新宮市の地名。
雪はこれからやってくる春の豊作の兆しでもありました。次の万葉歌は「この雪は今年の稔(みの)りのしるしなのでしょう」と詠っています。
〈新しき年の初めに豊(とよ)の稔(とし)しるすとならし雪の降れるは〉葛井諸会
最後に現代短歌の雪のイメージを。
〈楽章の絶えし刹那の明かるさよふるさとは春の雪解(ゆきげ)なるべし〉馬場あき子
音楽が途絶えた瞬間に故郷の雪どけがふいに思い出されたというのです。鮮烈なイメージです。ここにも春への期待が込められているでしょう。
重く冷たく、時に恨めしい雪ですが、古くから日本人は雪にさまざまなイメージを託してきたのです。