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ほっこり!あたたか。 鍋が恋しい寒さです


大寒がすぎ、東京にも雪がちらつきました。いよいよ寒さも本番です。日本海側に降った大雪が心配されます。雪下ろしには十分お気をつけ下さい。

この寒さの中、やはり熱々の湯気があがる鍋に心ひかれますね。大勢でワイワイと囲む鍋は冬ならではのお楽しみ。共に寒さを乗り切る元気も出てきます。でも、鍋料理って昔からこんな風にみんなでつっつきあって食べていたのでしょうか?


江戸の定番は「ひとり鍋」でチビリチビリ

最近では「好きにたべられるから、鍋はひとりにかぎる!」という人や「ひとり暮らしだからひとり鍋」というようにひとりで鍋をする方も増えています。ところがお江戸の時代、職人たちは仕事のあとのお腹を満たすために屋台に寄ったり、居酒屋でその日の疲れを癒したりとおおいに食を楽しんだようです。ですからこの時代の鍋は「ひとり鍋」。チビリチビリと酒を飲りながら鍋をつついたのです。これで翌日からの働く元気を養ったのでしょうね。

江戸も後期になると、肉を滋養のある薬として食べていたようです。しかし、肉食はおおっぴらにはできませんでしたから、「山くじら」と称して看板をだして商う店も出てきました。歌川広重の「名所江戸百景」にも描かれていますね。

「雪の日に七輪に咲く冬牡丹」

七輪から上がる火に煮えた鍋の中の猪の肉。身体が温まってくる美味しさを感じます。

「びくにはし雪中」出典:国立国会図書館

「びくにはし雪中」出典:国立国会図書館


主婦が守る家庭の囲炉裏

では、家庭では鍋料理は食さなかったのでしょうか?

都市部では時代劇などでよく見られるように、食事は一人ひとりのお膳で食べていました。一方農村では、囲炉裏で煮炊きをすることが多かったのです。囲炉裏のまわりには串刺しにした魚や、お米をつぶして作るきりたんぽをさして焼いたりもしていました。自在鉤にかけた鉄鍋に材料を入れて作る料理は、秋田のしょっつる、山梨のほうとうなど、今でもみんなに親しまれています。鍋で作った料理を囲んでさあごはん、という時、鍋から自分勝手によそったりしてはいけません。その家の主婦が杓子(しゃくし)で取り分けるのを、おとなしく待たなくてはいけないのです。男は家長として権力をもっていましたが、食べ物に関しては主婦が杓子権をもって采配を振るっていました。限られた食料を大勢の家族で過不足なく食べられるように、心を配っていたのです。主婦は一家の切り盛りの中心、昔から偉かったんですね。


鍋料理がさまざま生まれた明治時代

今私たちが食べている鍋が誕生したのが明治の頃。

水だけで煮て、あとからタレをつけて食べる「水炊き」。出汁で煮ながら食べる「寄せ鍋」。鍋の縁につけた味噌で食べる「どて鍋」。醤油や砂糖でこく味付けした「すき焼き」。そしてゆっくり時間をかけて煮ておいて食べる「おでん」は「関東炊き」ともいわれます。どれもこれもおなじみですね。

面白いのは肉の食べ方です。文明開化の明治に「牛肉食わぬは開けぬ奴」と競って牛肉をたべました。しかし、西洋風のステーキやシチュウではありませんでした。江戸時代からの肉の調理方法、味噌と醤油をあわせたタレに肉をつけて田畑を耕す鋤(すき)で焼いていたところから「すき焼き」が生まれたとか。日本人の味覚は貪欲に西洋を受け入れていったのですね。今では牛丼に進化した「牛鍋」も同じ頃に登場しています。

すき焼きも牛鍋もその頃はまだ一人鍋スタイルで食べていたようです。


みんなで鍋を囲むようになったのはいつ?

こうして見てみると、日本人が鍋をみんなで囲んで食べるようになったのは随分と最近のようです。「お膳を囲む」は家庭団らんを表すことばですが、この「お膳」がひとりのものから家族で囲む物になったのは、明治も終わり頃のようです。そう、「ちゃぶ台」の登場です。家族がちゃぶ台のまわりに座り、揃ってご飯を食べるようになって、みんなが囲んで食べる鍋へと進化しました。関西では七輪が真ん中にはまるちゃぶ台もあったとか。

やはり、鍋はみんなの中心にあって、それぞれが自分の箸で好きなものを取り、器に移してふぅふぅいいながら食べ、身体も心も芯から温まる日本の冬にはなくてはならない存在ですね。

さあ、今夜は誰と一緒に鍋を食べますか? それとも、ひとりでじっくりと楽しみますか。冬の夜長をあたたかにお過ごし下さい。

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