新年はなにはともあれ、おめでたいものです。
特に昔は、“一年の払い”がたまって年末には金銭的にも心情的にも追いつめられていましたから、一夜明けた新年には、格別のおめでたさがあったことでしょう。
新年のおめでたい噺(はなし)は落語でも多く見られます。
その中から底抜けにあかるい「御慶(ぎょけい)」を紹介しましょう。
富くじにこっている八五郎
富くじ(宝くじ)にこっている長屋の八五郎。
女房がやめてくれといっても、商売そっちのけで富くじを買いに出かけます。
暮れに八五郎は何かおめでたい夢を見ました。「今度こそは」と、女房が着ている半纏(はんてん)を強引に質屋に入れて、1分を借りて湯島の天神さまにやってきた八五郎。
八五郎の夢解釈は、「ハシゴの先に鶴が止まっているのを見た。鶴は千年だから「千」の意味、ハシゴだから「八四五」で「鶴の千八百四十五」の札が当たるにちがいない」というものでした。
ところが、その番号はすでに売り切れていました。
八五郎がしょんぼり歩いていると、易者に呼び止められました。わけを話すと、易者が言うには「ハシゴは下るものではなく、主に登るためのものだから、「八四五」でなく「五四八」でしょう」とのこと。
「なるほど!」とひらめいた八五郎は、「鶴の千五百四十八」の札を買います。
境内ではおおぜいの庶民が一攫千金を夢見てひしめいていますが、なんと「鶴の千五百四十八」は、みごと一番富(一等)の1000両に当たったのです。
夢見心地の八五郎は、手数料を引かれた800両を持って帰り、女房に見せて喜ばせます。
ついに当たった! 浮かれ気分で年始回りへ
誰かに自慢したくてたまらない八五郎……。
さっそく大家の所に行って、溜めていた家賃を払います。さらに、易者にも見料を払い、裃(かみしも)から脇差し、下着まで新調し、大晦日は夜が明けるのももどかしく、裃を着て一番に大家さんに正月の挨拶に行くことに……。
そこで八五郎は、大家さんからおめでたい言葉の「御慶(ぎょけい)」と、「永日(えいじつ)」という挨拶を教えてもらいました。ちなみに「永日」は「春永(日が長くなってから)になってあらためてお目にかかりましょう」という意味です。
夢にまで見た一攫千金を成し遂げ、おめでたい気分で全身が包まれた八五郎は、足取りも軽く、自分のおめでたい気分をみんなにも知らせたくて、長屋じゅうで覚えたての「御慶」と「永日」の言葉を繰り返し歩き回ります。
意味がわからず不思議そうな顔をするみんなを驚かせて喜ぶ八五郎は、路上でばったり会った3人組の仲間にも、同じく得意げに「めでたいな、めでたいな、めでたいな」の思いを込めて、「御慶」と3回威勢よくどなったのです。
しかし、相手は八五郎が何を言っているかわかりません。
仲間は八五郎に聞き返します。「なんだって?」「八(はち)、何言ってやがんだ?」。
その言葉を聞いて、八五郎は「御慶ったんだ(ぎょけいって言ったんだ)」と返します。
これを仲間は「御慶」を「ぎょけい=どけい=どこへ行ったんだ」と聞き違えてしまいます。
そして、仲間衆はこう返します。「恵方(えほう)参りに行った帰りなんだ」──と。
浮かれる八五郎と、仲間衆の言葉がまったく噛み合わないまま、互いにすれ違っていく……。
これがこの噺のオチになります。
「恵方詣り」は、その年の吉の方角に当たる神社に参拝することですが、初詣は明治になってから広まった習慣で、それまでは、「恵方詣り」が一般的でした。
みなさんの周囲にも、新春早々、数億円の宝くじにあたった人がいるかもれません。
意味がわからない言葉を発しながら、浮かれた感じで歩く人がいたら、それは八五郎のように一攫千金を成し遂げた人かもしれませんね(笑)。