
<高校野球岩手大会:花巻東8-4盛岡大付>◇24日◇決勝◇きたぎんボールパーク
花巻東が大会史上初の3連覇で夏の甲子園行きを決めた。18年ぶりのノーシードから勝ち上がり、決勝は昨年と同カードとなった盛岡大付戦。5回に一挙6点を奪う猛攻で8-4で制し、昨夏、8強入りした今春に続く3季連続甲子園出場を決めた。
主砲の古城大翔内野手(2年)は初戦負けした春の県大会後に足を負傷。不安を抱えながら大会を通じて4番に座り、この日も適時打でチームをけん引した。
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一塁で構えたグラブに白球が収まると、古城は泣きじゃくった。「大会前までは不安な気持ちが本当にあって。大丈夫かなって」。9回裏2死から2点を返され、なお走者二塁。萬谷堅心投手(2年)が盛岡大付の3番打者にゴロを打たせた。二塁に転がる。古城は勝利を決める送球を受け取り、ようやく心配を打ち消せた。歓喜と安堵(あんど)の涙が止まらなかった。
春の県大会で初戦負け。「ここ1本出ればという場面が多くて、そこで自分がかえせなかった」と猛省した大会後、太ももを肉離れした。影響で今大会前まで不調続き。守備も三塁から負担が少ない一塁に代わっていた。苦しみに寄り添ったのは仲間だった。「3年生が前向きな声かけだったり、みなが練習を遅くまで手伝ってくれた」。メンバー外の悔しさをみせず、支えてくれた。「やるしかない」。腹は据わった。
佐々木洋監督(49)監督からは「闘志をむき出しに」と諭された。準決勝までで打率6割超え。この日も5回1死二、三塁で左前適時打を放って貴重な追加点を奪った。指揮官も「よく調整して、大事な所で打ってくれた。頼もしかった」とたたえた。
巨人コーチの父茂幸さんと同監督が国士舘大の同期の縁で、神奈川から岩手へと渡った。大谷翔平にあこがれ、「世界で戦える選手になりたい」と後を追う。大会前、父からは「花巻の思いを背負って、自分らしさを忘れないでやってこい」と背中を押された。
1年生で4番を担った昨夏から、3度目の甲子園。「一戦必勝で。最終的に日本一という目標はある」。花巻からその名をとどろかす。【阿部健吾】
◆花巻東 1956年(昭31)創立の花巻商(のちの富士短大付花巻)と57年創立の谷村学院が82年に統合した私立校。生徒数は453人(うち女子336人)、野球部は56年創部で部員数は97人(うちマネジャー3人)。甲子園出場は春5度、夏は13度目。主なOBにエンゼルス菊池雄星、ドジャース大谷翔平ら。所在地は花巻市松園町55の1。小田島順造校長。