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【高校野球】桐光学園・野呂監督勇退 土におう丘で選手の感性育み「あの文化」も桐光発/神奈川


日大藤沢-桐光学園 敗戦し整列した野呂雅之監督(撮影・寺本吏輝)

<高校野球神奈川大会:日大藤沢6-4桐光学園>◇20日◇5回戦◇サーティーフォー保土ケ谷球場

桐光学園・野呂雅之監督(64)が勇退する。応援スタンドに10秒間、頭を下げた。近年、ほのめかしては来た。「いつかはね。少なくとも70歳までにはね」。昨年暮れには“年賀状じまい”もしたためていた。

早実から早大を経て、教員としては84年から桐光ひと筋。校歌に「土におう栗木の丘よ」とある。赴任当時は「山というか草むらというか」。住宅や企業団地が造成され続ける今も自然は残る。同校は昨年、絶滅危惧種ホトケドジョウのビオトープを敷地内に作り、環境省の公認も得た。

当初は推薦制度もなかった。記憶は色濃い。最初の夏の初戦は「等々力球場で浅野高校と。塩脇先生(現野球部長)の同級生が満塁ホームラン打ったんだ」。そこから始まった。

野球部員も少数精鋭、通学圏内の生徒のみ。じっくりと自主性を育み、社会に送り出した。卒業後、強豪大の野球部で主将を任されたOBも多い。「高校生は五分咲きでいい。大学、社会人になるにつれ七、八分咲きになればいい」。見守りながら育てた。

型にはめないスタイルは中学生やその保護者たちの支持も集めた。20年ほど前、こんな熱い思いを口にしたことがある。

「渡辺さんの横浜でも、門馬の東海でも、他のどこでもなく、俺のいる桐光を選んできてくれた。それ、うれしいじゃん。だから、この子たちを甲子園に連れて行きたいんだよ」

でも神奈川ではその横浜、東海大相模らとやり合わねばならない。「5対2」が理想のスコア。選手層では相手を下回ることも多い。戦術や洞察力で張り合った。風、雨、土…球場を取り巻くあらゆる要素さえ試合に応用しながら。

高校野球はトーナメント勝負だ。勝敗のアヤは一瞬で変わる。「特に野選とかは一気に変わるよね」。だから生徒たちにも洞察力を求めた。目配り、気配り、心配りを説いた。

昨年冬、グラウンドを取材で訪れた。普段とは違う入り口から入り、迷った。小柄な野球部員とあいさつを交わした。その後、20メートルほど歩いた私が道に迷ったのを、彼は見ていて察したのだろう。

「ご案内します!」

練習を中断し駆けつけて私を誘導してくれた。「そういう話を聞くとさ、なんかうれしいよね。教えてること、間違ってないんだなって」。野呂監督はうれしそうに話していた。

それでも横浜や東海大相模は強かった。簡単には勝てない。夏、負けるたびに「もうやめる」と夫人にこぼした時期もある。

家族のための時間もほとんどつくれなかった。「奥さんと旅行なんて熱海に1泊で行けたかどうか、それくらい。いつか監督を辞めたら、ゆっくり行ってみたいね」。

惜しまれながら第一線を退く。自分から目立とうとはしない人。だから、あまり知られていない。

打球を追うために捕手がマスクを外し、地面に置く。それを打者が拾って自分のユニホームなどで汚れを落とし、捕手に手渡す-。

今では当たり前の光景になったそのフェアプレー。四半世紀前、高校球界はおろか日本の野球界にその文化を広めたきっかけのチームが、野呂監督の桐光学園だった。【金子真仁】

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