
<真夏のライラック:日野・小山大陽投手(3年)>
<高校野球西東京大会:杉並5-3日野>◇15日◇3回戦◇府中市民球場
苦難を乗り越えて立った夏の初マウンドで何度もガッツポーズを繰り返し、ほえた。
4点を追う8回、日野のエース小山大陽投手(3年)が2番手で登板した。最速120キロの直球は走っていなかった。大会前に腰痛を発症したからだ。この日はブロック注射を打って臨んだが、本来の姿ではなかったという。
それでも、「どういう形でも絶対ゼロで流れ持ってくる気持ちだけでマウンドに行った」。闘争心むき出しで持ち味の制球力を最大限に生かし、2回無失点、1四球。攻撃へ望みをつないだ。
都立で準優勝歴もある日野でエースを張ったが、中学時代は病に苦しんだ。1年夏、約1週間に及んだ高熱に違和感を持ち、病院で検査を受けた結果、白血病と診断された。
「なんで俺なんだ?」
そこから約8カ月にもわたる入院生活。抗がん剤や放射線治療の副作用で髪の毛は抜け落ち、毎日、嘔吐(おうと)や腹痛に苦しんだ。「叫ばないと耐えきれないぐらいの苦痛があったり、そのぐらい自分の人生の中では一番苦しかった経験だった」
2年春には復学したが、体重は30キロを下回り、「筋肉もなく本当に骨だけ」で歩くこともできなかった。
どん底にいた小山だが、励みになる存在もいた。19年に白血病となり、闘病生活をしてきた競泳女子の池江璃花子だ。
「テレビで見て、白血病になってもプロの世界に復帰できると勇気をもらった。自分も早く野球をやりたい気持ちになれた」
まずは、学校の登下校をできるようにするため、短い距離での歩行や階段や坂を使ったリハビリ。さらにキャッチボールをするためにボールを触るなど、地道に復活の歩を進めてきた。
驚異的な回復力で3年夏には野球部に復帰。都立の実力校である日野に進学すると、肉体改造にも取り組んできた。入学当初は身長166センチ、体重58キロだったが、厳しいチーム内争いも「あの(白血病の)経験があるから多少辛いことでも乗り越えられる」と力に変え、エースに成長した。
この日、チームは敗れたが、わが子の応援に駆けつけた父秀実さん(57)は「もう誇りですよ。本人が頑張らなければ、ここまで応援できなかった」と涙目でねぎらう。
幾多の苦難を乗り越え、立った夏のマウンドは「悔しかったですけど、楽しめた」。その景色は何十年立っても色あせないだろう。【泉光太郎】