
サッカー日本代表で、ブンデスリーガのボルシアMGを主戦場とするDF板倉滉(28)が不定期連載第3回で、自身のサッカーキャリアについて語った。川崎Fの下部組織からトップ昇格を果たし、18歳でプロの道へ足を踏み入れた。21歳で仙台(現J2)へ期限付き移籍し、翌年オフに海外挑戦。28歳にして、5クラブ目を数える。引く手あまたのセンターバックが活躍の場を移す際に大切にしてきた軸とは。【取材・構成=佐藤成】
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日本代表として確固たる地位を築き上げた板倉は、サッカー選手として多くのクラブでプレーしてきた。プロ10年目ですでに5クラブ目。行く先々で評価を高め、現在はドイツ1部の古豪ボルシアMGに所属する。渡り歩く中で持っている信念がある。
「自分を必要としてくれるクラブで頑張りたい思いが一番強い。その熱が大切ですね」
川崎Fの下部組織で育ち、18歳でトップ昇格。しかし、当時はレギュラーの壁が高く思うように出番をつかめなかった。4年目に仙台へ期限付き移籍することを決意する。
「自分の力が足りなかったから、1回環境を変えてそこで勝負しようと。自分の中ではもうそこで試合に出られなかったらサッカー人生もどんどん終わっていくという覚悟は持っていきました」
愛するクラブを離れることにさみしさはあった。それでもサッカー人生を考えたとき、必要な決断だった。「出る選択が逃げになるならそういう選手は絶対に成長できない。どういう気持ちで行くのかが大事」。主力に定着し、24試合に出場。3得点を記録した。
自身の力でその選択を正解にした。仙台にもう1年残る意志をクラブに伝えたシーズンオフにイングランド1部の強豪マンチェスターCからのオファーが舞い込む。「びっくりしました」。元々海外志向は強くなかったが「オファーが来たら行くだろうな」という漠然とした思いはあった。行かないといけないという使命感にも似た感覚だったという。
労働ビザの関係でマンチェスターCではプレーせず、すぐにオランダのフローニンゲンへ期限付き移籍。言語面で適応に苦しんだこともあったが2年半で主軸となり、ドイツ2部のシャルケへ移った。ドイツ1部のクラブからも話はあるなかで「シャルケが最初にオファーを出してくれた。熱を感じた」。1年でのブンデスリーガ復帰を目指すビジョンに共感し、入団を決めた。
シャルケを1部昇格に導くとリーグ優勝5度、UEFAカップ(現欧州リーグ)制覇2度を誇るボルシアMGに完全移籍を果たした。「最初に強化部の人たちと直接会って話したのがこのクラブだった」。国へのこだわりがあるわけではない。決め手は「自分のことを必要としてくれるクラブでやりたい」というブレない思いだけだった。
新しい環境に飛び込むには勇気が必要だ。一から人間関係を構築する中でプレー面で信頼をつかむのはコミュニケーション能力にたける板倉にとっても容易ではない。それでも成長を求め、ステップアップする。基準の高い日常が目標とするW杯優勝への近道だと信じているからだ。「できるだけ高いレベルでプレーしたいという思いは持っているし、そうしなくちゃいけない。正直、次の移籍がラスト勝負になるかなという思いはあります。ちゃんと自分の心に従って決めていきたい」。
引退後のキャリアについてのスタンスも実にこの男らしい。「何しているか全然わかんないっすよ。別に監督になりたいとかも全くないし。サッカーには関わっていたいですけど、楽しく生きたいな。自分に期待しています」。軸はぶらさず、自然体に生きていく。
○…ドイツメディアは、板倉のドイツ1部Eフランクフルト入りを「決定的」と報じている。地元メディア「Frankfurter Rundschau」によると、ボルシアMGとの契約は来年6月末までだが、板倉側に契約延長の意志はないという。移籍が有力な要因として「板倉の契約解除金が1000万ユーロ(約16億円)から1500万ユーロ(約24億円)の範囲にあること」とし「そのため、彼は複数のトップクラブにとって魅力的なターゲットとなっている」。同クラブは今季3位で来季の欧州チャンピオンズリーグ出場権を獲得している。
◆板倉滉(いたくら・こう)1997年(平9)1月27日、横浜市生まれ。川崎Fの下部組織で育って15年にトップ昇格。18年に仙台へ期限付き移籍し、主力となる。19年1月にマンチェスターCへ完全移籍。即座にフローニンゲンへ期限付き移籍した。シャルケでもプレーした後の22年7月にボルシアMG加入。CBとボランチをこなす。日本代表では国際Aマッチ37試合2得点。21年東京五輪代表。利き足は右。家族は両親と妹。188センチ、80キロ。
板倉の所属歴
15年=J1川崎 0試0得
16年=J1川崎 2試0得
17年=J1川崎 5試0得
18年=J1仙台 24試3得
18-19年=フローニンゲン 0試0得
19-20年=フローニンゲン 22試0得
20-21年=フローニンゲン 34試1得
21-22年=シャルケ 31試4得
22-23年=ボルシアMG 24試0得
23-24年=ボルシアMG 20試3得
24-25年=ボルシアMG 31試3得
※成績はリーグ戦