
96年から4年間近鉄で監督を務めた佐々木恭介氏(75)が、3日に89歳で亡くなった巨人終身名誉監督の長嶋茂雄さんを悼んだ。
「ヨッシャー!」。95年秋の近鉄新監督に就任後、長嶋巨人と金の卵をめぐる獲得競争が勃発した。ドラフト会議を前に意中の巨人や中日の指名を待つPL学園・福留孝介の1位争奪戦に、近鉄や巨人、星野仙一監督率いる中日など7球団が参戦。交渉権を獲得したのは、近鉄。佐々木氏は絶叫で喜びを爆発させたが、翌朝のスポーツ紙に長嶋氏の談話が掲載された。「近鉄に入る・入らないかは福留くんの気持ち1つ」。
「そのコメントを見て、若気の至りで…」。ドラフト翌朝、ミスタープロ野球に電話口で怒りを伝えた。「ほんまに失礼なこと。『(長嶋さんは)私はそんな姑息(こそく)なことをするような男に見えますか?』。今ではかえす言葉もない、汚点を残しました」。翌春オープン戦の巨人戦で、長嶋氏に精いっぱい陳謝した。「ありがとう。そんなこと、気にしなくていいよ。お互い監督としてプロ野球を盛り上げましょう!」。許してくれた優しさに、佐々木氏は初心に立ち返った。98年には長嶋氏が指揮を執った日米野球でコーチとして招聘(しょうへい)された。1度は断ったが「『私が選んだんだから。佐々木くん、来なさい』と。いい思い出ばかりです」。指導者の間柄で“球縁”は結ばれた。「あの電話で『近鉄の佐々木』と覚えてもらった」。
95年秋、福留は近鉄入団を拒否し、社会人の日本生命入り。98年ドラフト1位で中日入団した。佐々木氏は01年に中日のコーチに就任し、くしくも福留と同じ球団でプレーすることになる。04年アテネ五輪の日本代表監督に就任していた長嶋氏のキャンプ視察で再会。絶好調だった福留の打撃練習を2人で眺めた。左右にライナー性の当たりを放っており「さすがの長嶋監督も、文句のつけようがないやろうと思いましたが…」。だが長嶋氏は驚くべきアドバイスを送った。
「福留選手に注文していい? 来た球に真っすぐ打ち上がるピッチャーフライか、キャッチャーフライで打ってごらん?」。バットのヘッドが下がらないよう練習していた福留に、「もう少し、上からたたく意識」を伝えるためだった。福留はバットのヘッドの上側から押し込み、投手の頭上に高々と打ち上げてみせた。
長嶋氏は「そのバットの出し方です。今の最高のスイングを忘れないで続けてください」と伝えた。「一振りで再現する福留ももちろんすごいが、私も長嶋さんに教えてもらったことが財産です」。佐々木氏にとっても斬新な打撃論だった。
「いつもダンディーな香りの香水が漂い、額が青く、ひげをそったあとが印象的でかっこいい方。いまだに忘れないです」。【中島麗】