
巨人終身名誉監督の長嶋茂雄さんが3日午前6時39分、肺炎のため都内の病院で死去した。89歳だった。
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見た目の豪放さとは裏腹に、素顔は存外、細やかな神経の持ち主だったように思う。遠征先の宿舎ホテルに着くと、まず非常口の場所を確認。そこから散歩やジョグに外出していた。
あいさつに出向き名刺を差し出すと「以前、いただいていますよね」と、2度目だったことを覚えてくれていて、あせった記憶がある。
優勝が「1勝」ずつの積み重ねであるように、人生の集大成に向けて、その高低にかかわらず「徳」を1つずつ積み上げようとしていた。
1994年(平6)8月末。遠征先で、試合までの空き時間を利用して巨人宿舎近くの公園まで散歩に行った。園内の一角に人だかりができていて、その輪の中にサインに応じる長嶋監督がいた。
長嶋さんも球団関係者を伴って散歩に来ていたようだった。街中で長嶋さんを見かけること、ましてサインしてもらえる機会など、そう滅多にあるものじゃない。
「今日、ここにいた方はラッキーでしたね」。私が振ると、長嶋さんは言った。
「エッヘッヘ…。練習もそうですけど、ファンサービスも人前でやるものではなく、こういう何気ないところで行うことが、われわれには大事なんです。陰で積むから『陰徳』というんですよ」
陰徳は、昭和の陽明学者、哲学者、思想家である安岡正篤(まさひろ)の教えに出てくる。94年の巨人といえば、中日との「10・8」最終戦決戦で優勝し、西武との日本シリーズも制し長嶋さんにとって初の「日本一」に輝いた。その要因の1つとして、陰徳は力を与えていたと思う。
最後は、長嶋さんが信奉した安岡の言葉で偲(しの)びたい。
「偉(えら)くなることは必ずしも富士山のように仰がれるようになるためではない。なるほど富士山は立派だけれども、それよりも何よりも立派なのは大地である。この大地は万山を載せて一向に重しとしない。限りなき谷やら川やらを載せてあえていとわない。常に平々坦々としておる。この大地こそ本当の徳である。我々もこの大地のような徳を持たなければならぬ。大地のような人間にならなければならぬ」
そうだ。長嶋さんは大地に還っていったのだ。【93、94年巨人担当=玉置肇】