
あの時、素直に受け入れていなかったら、海を渡れていなかったかもしれない。オリオールズ菅野智之投手(35)が、9日に放送されたBSテレ東の「菅野智之の挑戦には物語がある」に出演した。5つの分岐点に分けられ、オールドルーキーのメジャー初挑戦にまつわる話が紹介された。
3つ目の分岐点では「心を支え、復活を支えた恩人との出会い」として、巨人久保康生巡回投手コーチ(66)の存在を明かした。菅野は、今では「久保コーチがいなければ今の自分はいない」と言える。ただ、最初からそうだった訳ではなかったという。「フィルターがかかって、素直に聞けなかった。その時の自分を殴ってやりたい」とまで言った。
菅野は23年に、右肘の張りの影響で開幕を2軍で過ごしていた。その年は14登板にとどまり、わずか4勝、奪三振も初の2桁となる54に終わった。いずれもキャリアワーストの数字。久保コーチの“魔改造”とも言われる密着指導により、翌年の24年は復活。24登板で15勝をマークし、奪三振も111に上げ、防御率も前年の3・36から大幅減の1・67をマーク。勝利数、防御率、奪三振の3冠に輝き、自身3度目のMVPを手にした。
久保コーチは振り返った。「彼には失礼なことをずいぶん言った。お金も稼いで名声も何百勝も、と言ったら、菅野が『いえ、そんな事ない』『全然満足していない。これからですよ』って言ったから、じゃあ、やろうよと。本当にけんか上等やないか、みたいな。やってやろうやないか、両者ともスイッチみたいなものはあった」。
菅野は「久保コーチの出会いに感謝しないといけないし、教えてもらうことを全て受け入れて、今の自分はもう過去にしようとその時、僕は思いました。本当に1からですよ」とリスタートし、復活を果たした。
“魔改造”と言われる指導のポイントは立ち方だった。久保コーチは「プレートに対するアプローチの仕方、投げる前の目線の場所、プレートの位置、これを変えたら彼は劇的に変わる。だから僕は簡単に変われるよって話をした」。投げ方ではなく立ち方。これまで投球開始時に、後ろにあった左足をプレートの前に置いた。立ち方を変えることでキャッチャーへの目線が変わり、一連の動作がスムーズになった。
菅野の中で気付いた。「これって昔、自分がやっていた事だよなと、意識してきた事だよなとか、そういうのが頭で分かってきて」と、ものにしていった。「こんなに応援してくれる人がいるのに、ここで頑張れない男はダメだと自分を奮い立たせて臨んだシーズンでした。久保コーチが僕を見捨てずにやってくれた。ネットスローも何年ぶりにやったかな」。恩人の存在に感謝しきりだった。