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JFA宮本恒靖会長、国士舘大の大澤英雄理事長悼む「よくやったと言ってもらえる未来を」


国士舘の理事長で、日本サッカー界に大きな貢献をした大澤英雄氏が肺炎のため89歳で亡くなった。彼は75年以上にわたるサッカー歴を持ち、50年以上指導者として活動。国士舘大学でサッカー部を創設し、多くの優れた人材を輩出。また、育成年代の組織整備に尽力し、日本がワールドカップに出場する基盤を築いた。彼の功績は、日本サッカー協会の殿堂入りを果たしたことで称えられました。長いキャリアを通じて様々な役職を歴任し、2009年からは国士舘の理事長を務めました。2023年には日本サッカー協会会長の宮本恒靖も彼の貢献を讃える声明を出しましたが、彼の死去を深く悼みました。

日本サッカー協会宮本恒靖会長(2025年2月8日撮影)

学校法人国士舘理事長の大澤英雄氏が16日午前、肺炎のため亡くなった。89歳だった。サッカー歴は75年超、指導者としても50年を超えた功労者。2023年9月には、日本サッカー協会(JFA)の殿堂入りも果たしていた。

JFAの宮本恒靖会長が同日、追悼した。

◆メッセージ

大澤先生の訃報にふれ、お悔やみを申し上げます。

国士舘大学サッカー部を情熱溢れる指導で育て上げ、先生が送り出した人財は選手だけでなく、サッカー界の様々な分野で多く活躍されています。また、育成年代の組織整備にも尽力いただきました。整備いただいた大会を経て、日本サッカーは成長し、今はワールドカップにも出場できる競技力を身に付けることができました。ピッチ内外における多大なる貢献について深く御礼を申し上げたいと思います。

23年の日本サッカー協会殿堂掲額式典でお会いしたときはお元気で、これからも日本サッカーのために御力をお借りしたかったのですが、今回訃報にふれて残念でなりません。

これまで日本サッカー界のために本当にありがとうございました。

大澤先生に「よくやった」と言ってもらえる未来を作り上げていきます。(原文まま)

大澤氏は昨年初め、体調不良で都内の病院に入院。約半年後の24年10月に退院したものの、再び体調を崩して年末に入院し、この日朝、都内の病院で息を引き取った。

北海道函館市出身。函館有斗高から国士舘大の体育学部に入学。後にJリーガーを数多く輩出するサッカー部を創設し、初代主将となった。

選手時代から「ヘディング1つにしても、指導者によって教え方が異なる」ことに疑問を持ち、サッカー部のコーチとなって指導者の道を歩んだ。

その後、同大学の教授に就任。92年4月に体育学部長となった。02年6月からは学校法人国士舘の理事を歴任。03年12月から06年11月まで国士舘大の学長を務めた。09年4月に理事長。19年春の叙勲で旭日中綬章を受章していた。

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