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<吉田義男さんメモリーズ3>
「今牛若丸」の異名を取った阪神の名遊撃手で、監督として1985年(昭60)に球団初の日本一を達成した吉田義男(よしだ・よしお)さんが2月3日、91歳の生涯を閉じました。日刊スポーツは吉田さんを悼み、00年の日刊スポーツ客員評論家就任以前から30年を超える付き合いになる“吉田番”の寺尾編集委員が、知られざる素顔を明かす連載を「吉田義男さんメモリーズ」と題してお届けします。
◇ ◇ ◇
甲子園球場の近くに、カウンターだけで、こぢんまりした「S」という喫茶店がある。吉田さんの行きつけで、外から入って右奥がお気に入りの“指定席”だった。
常連に交じり、「午前11時ぐらいになると皆さん集まってきますねん」と足しげく通った。たまに一見さんが入ってきて、吉田さんだと分かると、その客は無口になった。
吉田さんはホットコーヒーを飲みながら、女性店主に「岡田のアメちょうだい」とおねだりする。岡田監督だった23年シーズンに話題になって売れまくったパインアメが出てきた。
「掛布はよぉなりましたな」「岡田は野球が分かってますわ」「真弓に助けられた」「平田にちょっと言っときます」「木戸と王将でギョーザでも食べましょか」「私も中西も85年でメシ食ってますねん」
吉田さんは「あいつら俺のこと『よっさん』って呼んでるらしいな」とムッとした。それでも教え子を語るときは「みんなよぉなってほしいな」とうれしそうだった。
「岡田、平田のゲッツーは練習のたまものです」「相手は4番掛布が怖いから3番バースがみんなさらえるんです」「佐野も勝負強かった」「山本もいたが、最後は中西です。福間がつないだ」「外野の北村、吉竹がビッグプレーをみせましたな」
その喫茶店はタバコを吸うことができた。ドクターストップがかかっているのに、セカンドバッグから取り出してスパスパ吸った。おいしそうだった。私は見て見ぬふりをした。
後で家族から「父が家に帰ってきて、バッグにタバコを隠していたのはショックでした」と神妙に打ち明けられた。私は聞こえないふりをしてごまかした。
いつものうるさい客から前日の阪神戦の敗因をつつかれても、吉田さんは絶対に古巣の悪口は言わない。そして必ず帰り際に「また応援したってください」と言い残した。
吉田さんは決してケチではなかった。食事をご一緒してこちらが支払いをしたことは1度もない。「みんなが吸っていたし、俺のタバコが分からんから『吉田』と書いたらケチ、ケチ言われたんですわ。なんで? と思っていました」。
1985年に日本一監督になった吉田さんは、その年もっとも貢献したとして正力松太郎賞に輝いた。だが賞金500万円を「自分だけがもらったもんじゃないんでね」とチームに分配した。
その年の1月2日、西宮カントリー倶楽部で古参メンバーのIさんから「監督がタバコ吸ってたら部下を掌握できるか」と指摘された。とんだ言いがかりだが、愛煙家だった吉田さんはタバコを断った。
その禁を解いたのが11月2日、日本シリーズ第6戦の西武球場で、西武を4勝2敗で下して日本一になった日だ。タクシーに乗った吉田さんはチェリーのタバコに火をつけた。【寺尾博和】