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鳥谷敬氏「50歳近くも年齢が離れているのに本当に優しく接してもらいました」吉田義男さん悼む


阪神タイガースの元監督で、1985年に球団を初の日本一に導いた吉田義男氏が、2024年4月3日に脳梗塞で亡くなった。91歳だった。吉田氏は京都市出身で、現役時代は卓越したフィールディングで「今牛若丸」と称され、阪神の監督を最多3回務めたことで知られる。彼の指導を受けた元選手の鳥谷敬氏は、吉田氏が非常に優しく、温かく見守ってくれる存在だったと述懐。吉田氏から学んだ守備についての考え方を後輩に伝えていきたいと語った。吉田氏は「打倒巨人」を信念とし、阪神愛を貫いた伝説的な存在であり、彼の死を惜しむ声が広がっている。

スペシャルトークを行った左からダイアン津田、鳥谷敬氏、日刊スポーツ評論家の吉田義男氏(2024年4月3日撮影)

阪神タイガースの監督として85年に球団史上初の日本一を達成した日刊スポーツ客員評論家の吉田義男(よしだ・よしお)さんが3日午前5時16分、脳梗塞で亡くなった。91歳だった。京都市出身。通夜と葬儀・告別式は家族葬で行う。現役時代は華麗なフィールディングで「今牛若丸」と称され、引退後は阪神監督を球団最多の3度歴任。打倒巨人を生涯の信念とし、阪神を愛し続けた猛虎のレジェンドが天国に旅立った。

   ◇   ◇   ◇

▽鳥谷敬氏(日刊スポーツ評論家) 阪神でプロ1年目を迎えた沖縄春季キャンプの第1クール中、評論家として取材に訪れていた吉田さんから即席で守備を教わりました。それ以来、甲子園のグラウンドに下りてこられた時に「頑張れよ」と声をかけてくれたり、イベントでも「ショートとは」という話を聞かせてもらったり…。50歳近くも年齢が離れているのに本当に優しく接してもらいました。自分は阪神遊撃手の後輩になりますが、技術面のことを細かく指摘する感じではなく、ずっと温かく見守ってもらったイメージ。気を使っていただいていたのか、あまり悪いことを言われた記憶もありません。一時代を築いた大先輩の訃報は残念でなりませんが、吉田さんから教わった「ショートとは」という考え方を後輩たちに受け継いでいきたいと思います。

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