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権藤博氏が吉田義男さん悼む「生涯忘れない。唯一無二のプレーを見せてくれた特別な内野手」


プロ野球阪神タイガースの元監督で、球団史上初の日本一を成し遂げた吉田義男さんが、91歳で亡くなりました。彼は選手時代、「ショート吉田」として鮮やかな守備で知られ、特に権藤博氏はその特別なプレーに畏敬の念を抱いていました。その守備はまるでサーカスのようで、投手として対戦する者たちを何度も苦しめました。引退後、吉田氏は阪神の監督として日本一に導き、またフランスで野球伝道師としても活躍し、球界に多大な貢献をしました。彼の驚異的な守備力と影響力は、野球界において唯一無二のものだったと多くの人々に記憶されています。

権藤博氏(2024年9月19日撮影)

プロ野球阪神タイガースを、監督として球団史上初の日本一に導いた吉田義男(よしだ・よしお)さんが3日午前5時16分に兵庫・西宮市の病院で脳梗塞のため亡くなった。91歳だった。

   ◇   ◇   ◇

▽権藤博氏(日刊スポーツ評論家) 1961年(昭36)、中日投手としてプロの世界に飛び込んだ私が、最初に驚いたのが阪神内野陣のすさまじい守備力でした。試合前のシートノックはショーとして成立するといってもいいレベル。まるでサーカスを見ているかのような錯覚にとらわれたものです。その中心にいたのが「ショート吉田」でした。

素早い動きと鮮やかなグラブさばき。そしていつボールを投げているのかわからないマジックスロー。試合でもその守備に何度、地団駄を踏んだことか。名手と呼ばれた選手は数多くいますが、吉田さんは唯一無二のプレーを見せてくれた特別な内野手。まさに別格中の別格でした。

投手として対戦する中では「打者吉田」にも苦しめられました。最初の打席に打たれると4打数4安打されてしまうという、1度乗らせたら手に負えないタイプ。5歳年上の吉田さんは、もっとも警戒すべき選手でした。

阪神監督として日本一、フランスに渡り野球伝導師となるなど、現役引退後も球界に多大な貢献をされましたが、あの守備を見て受けた衝撃は、生涯忘れることはないでしょう。謹んでご冥福をお祈りいたします。

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