starthome-logo 無料ゲーム
starthome-logo

佐々木朗希、背番号「11」に思いを込め 被災地の人たちに大きな希望与え続ける


岩手県陸前高田市出身の佐々木朗希投手が、メジャーリーグのドジャースに入団し、故郷を応援する活動が行われています。2011年の東日本大震災で壊滅的な被害を受けた陸前高田市は、復興の途上にありますが、佐々木投手の活躍が地域に希望をもたらしています。市役所には応援横断幕が掲げられ、地元の中華料理店では彼の好きだった麻婆担々麺がファンに人気です。佐々木投手の背番号「11」は、震災への思いを込めて選ばれました。彼の故郷は「気仙の子供」と呼ばれ、地元の誇りとして深い愛情で見守られています。今後も彼の挑戦が、被災地に希望を届け続けることが期待されています。

ドジャース佐々木朗希投手を応援する横断幕がある陸前高田市役所(福島良一氏提供)

ドジャース大谷翔平投手の出身地、岩手県奥州市から東へ60キロほど。太平洋に面した三陸海岸沿い、佐々木朗希投手の生まれ故郷、陸前高田市を訪ねて来ました。

2011年3月11日の東日本大震災で、陸前高田市は壊滅的被害に遭いました。あれから震災の復興は進んでいますが、今も中心市街地は荒漠としたままです。そんな中、被災地の希望となっているのがドジャースに入団した佐々木投手です。市内各所にのぼりやポスターを掲示し、佐々木投手を応援しています。

佐々木投手が通っていた高田小学校は震災後に高台へ移転となり、その跡地に陸前高田市役所が再建されました。そこには大きく「メジャー挑戦! 世界に羽ばたけ 佐々木朗希!」の横断幕。7階の展望ロビーには、直筆サイン入りの大型パネル写真も展示されていました。

市街地でにぎわいを見せていたのが、中華料理店「昇龍厨房四海楼」です。駐車場は満車状態で、入り口には長蛇の列。県内外からファンが続々と訪れています。既に新聞などで報じられている通り、佐々木投手が幼少期から通っていた店。同投手のために作った、看板メニューの麻婆担々麺が食べられるからです。

震災で亡くなった佐々木投手の父と友人関係にあった店主の長田正広さんは「津波で流された店と朗希の家が隣近所で、家族でよく食べに来てくれた」と言います。また、「いつも家の前で父親とキャッチボールしていた」と懐かしそうに語り、その父が「将来必ずプロ野球選手になる」と自慢していたそうです。

プロ入り後も「毎年オフになると麻婆担々麺を食べに訪れる」そうです。「いつも裏口から入れて個室に案内するんだけど、体がデカいから、すぐお客さんにバレてしまう」と笑いながら話してくれました。店内には直筆サイン入りユニホームや写真などが数多く飾られています。

昨年の世界一ドジャース入団が決まると、長田さんは「大谷や山本由伸と同じチームで良かった」とうれしそうです。新しい背番号11について聞くと「東日本大震災があった3月11日。その『11』に震災の思いが込められている」と感慨深そうに話していました。

翌日、東隣の大船渡市を訪れると、大船渡市役所にも「メジャー挑戦!~」の懸垂幕が掲げられ、大船渡プラザホテルには「祝ドジャース入団おめでとう!」の文字が躍り、複合施設「おおふなぽーと」にもロッテ時代のユニホームが飾ってありました。

また、キャッセン大船渡にある「オオフナトのケムリ」という食堂では、佐々木投手が大船渡高時代に赤坂櫻亭という店でいつも注文していた、名物冷たい肉そばとゲソからのセットを限定復活。「遠く大阪からも食べに来た女性ファンがいた」という人気ぶりです。

地元で長く暮らす年配の女性に話を聞くと「お母さんは大船渡出身で、確か佐々木投手も大船渡の病院で生まれたはず。本人が震災で小学4年のときに転居し、高校まで過ごした街。そういう意味でも大船渡は特別な場所だ」と言います。さらに「大船渡市、陸前高田市、住田町の3市町を気仙と言います。それで地元の人たちは皆、彼のことを『気仙の子供』と呼び、わが子のように応援している」と言っていました。

地元の人たちにとって忘れられない日である背番号「11」に思いを込め、「気仙の子供」が令和の怪物となり、いよいよ夢のメジャー挑戦。これからも被災地の人たちに大きな希望を与え続けます。

【大リーグ研究家・福島良一】(ニッカンスポーツ・コム/MLBコラム「福島良一の大リーグIt's showtime!」)

    Loading...
    アクセスランキング
    game_banner
    Starthome

    StartHomeカテゴリー

    Copyright 2025
    ©KINGSOFT JAPAN INC. ALL RIGHTS RESERVED.