青森山田の2枚看板が大学でも互いに高め合う。最速152キロエース右腕の関浩一郎投手は亜大(東都大学)、「背番号10」の最速145キロ右腕の桜田朔投手(ともに3年)は法大(東京6大学)へ進学する。2年秋の東北大会では8年ぶり2度目の東北王者に輝き、昨春センバツでは春初勝利を含む2勝で8強入り、昨夏甲子園でも同校初の4強入りを果たした。このチームの躍進に、2人の競争は不可欠だった。リーグは違えど、この先の4年間も切磋琢磨(せっさたくま)していく。
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「背番号1」を競い合ってきた。結果として2年秋から昨夏の甲子園までエースナンバーを背負った関は「(秋から)本当にどっちが1番をつけていてもおかしくないような実力だった」。2年秋の東北大会では、準決勝で関が2安打完封すれば、決勝で桜田がノーヒットノーラン。力は拮抗(きっこう)していた。
常に高め合ってきたからこそ、関には桜田が「1」を背負って投げる姿を見たい思いがあり、昨秋の佐賀国体で譲った。「(桜田)朔がどう思うかなと。良く受け止めてくれるのかどうか。嫌だという人もいると思いますし…」。一方で、桜田ははじめ嫌な気持ちがあったと明かす。「最初はびっくりして、ちょっと嫌でした。でもよく考えて、関なりの思いがあってのことだと理解できました。聞いた次の日にはありがとうという気持ちが強くなりました」。背番号については脇野部長を介し、2人の直接のやりとりはなかった。
国体1回戦の関東第一(東京)戦で先発した桜田は2回7安打4失点。ふがいない結果だったと振り返り、同時に「重い、なんだか軽く背負っていいものじゃないような感じがしました」。ライバルが守ってきたエースナンバーの重みを知った。関も6回から登板して4回3安打2失点。3-6で敗れたが、思い出に残る試合だった。マウンドで投げる桜田をベンチから見た関は「ただの自己満足かもしれませんが、(桜田が)1番をつけて投げていたのが、すごいかっこよかった」。高校野球最後の試合を振り返りながら、2人は照れくさそうに笑った。
この先も「青森山田の2枚看板」と呼ばれる日もあるだろう。それは時として重圧にもなりかねないが、関は「素直に2枚看板と言われるのも、記事で見るのもすごいうれしい。大学に行ってもお互いが活躍すればするほど、そう言われるようになると思いますし、それをずっと絶やさないように。プロに入る時も、入ってからも、一緒に頑張っていきたい」。むしろ2枚看板が誇らしい。
桜田は「僕は、関が青森山田に来てくれて本当に良かったって思っています。個人的には関が一番いいピッチャーだってずっと思っている。一番近いところに目標がいるのはすごい大きい。関が志望届を出す時に自分も一緒に出せたらという思いが一番強い」。2枚看板でプロ野球へ-。互いに認め合う「背番号1」と大学でも切磋琢磨し、さらに上のステージを目指していく。【浜本神威】
◆関浩一郎(せき・こういちろう)2007年(平19)3月8日生まれ。青森県青森市出身。篠田小5年時に小学校の部活で野球を始め、沖館中では青森戸山シニアでプレー。1年秋からベンチ入りし、2年秋から背番号1を背負った。昨夏甲子園では初戦で完投、準々決勝でロングリリーフを見せるなど19回を投げて18安打4失点。最速152キロ。187センチ、90キロ。右投げ右打ち。
◆桜田朔(さくらだ・さく)2006年(平18)4月18日生まれ。青森県五所川原市出身。三輪小2年時に青森ジャイアンツで野球をはじめ、青森山田中では青森山田シニアでプレー。21年夏に同シニアで背番号1を背負い、東北勢の中学球界初となる日本一に貢献した。高校では1年秋からベンチ入り。昨夏甲子園では1イニングを投げ無安打無失点。最速145キロ。185センチ、84キロ。右投げ右打ち。