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【オリックス】「たくさん知り合いも亡くなり」小浜球団本部長、自宅は今も30センチ沈んだまま


オリックス球団本部長の小浜裕一氏が、1995年の阪神・淡路大震災の際に体験した出来事を振り返り、犠牲者への黙とうを行いました。震度7の揺れを体感し、両親の店舗が崩壊するなど多大な被害に遭遇しました。小浜氏は当時、救助が遅れる中で生活必需品を確保する困難を直面しましたが、野球を通じて地域の絆を実感できたと述べています。そして、震災を通じて得た経験を生かし、災害への備えを常に意識していることの重要性を語りました。

阪神・淡路大震災の犠牲者に黙とうをささげる左からオリックス湊球団社長(左)と岸田監督、小浜本部長(撮影・前岡正明)

「たくさん知り合いも亡くなりました」-。そう振り返るのは被害の大きかった兵庫・芦屋市内で被災した、オリックス元投手の小浜裕一球団本部長(56)だ。94年限りで現役引退し、阪神・淡路大震災に遭った95年は打撃投手兼スコアラーとして球団スタッフ1年目。親と同居していた自宅で、震度7の強烈な揺れを体感した。

向かい側の家並みがすべて傾いていた。自宅は倒壊を免れたが、今も30センチ沈んだまま。両親が神戸市灘区で営んでいた店がある市場は崩壊。がれきの下敷きになった人の手が見えた。道が封鎖され、救助隊も入って来ない混乱の極み。「何が起こっているのか整理するのにしばらく時間がかかった」。

近所の公園が地割れし、破裂したむき出しの水道管からあふれた水を、風呂にためてトイレに利用。自衛隊員が配布するカップラーメンとおにぎりをもらって食べた。そんな中で思った。「これ、ほんまに野球やってええんかな」-。

それでもシーズンが始まった。応援とチームが一体となり、野球の持つ力を感じた。「その前年まで、あんなにスタンドが埋まることがなかった。すごいなと。感動しました」。定期的に当時を思い出し、災害への備えを忘れないようにしている。【大池和幸】

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