野球殿堂博物館は16日、今年の殿堂入りメンバーを発表し、日米通算4367安打のイチロー氏(51=マリナーズ球団会長付特別補佐兼インストラクター)が選ばれた。
有効投票349票中323票を獲得で、投票率は史上6位の92・6%。史上初の満票は逃したが、資格1年目での殿堂入りは18年松井秀喜氏、金本知憲氏以来、7年ぶり7人目となった。米野球殿堂入りの発表は1月21日(日本時間22日)。こちらも初年度の当選が、確実視されている。
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濃紺のスーツに身を包み、水色のネクタイを締めたイチロー氏は、緊張した面持ちでスピーチに臨んだ。「このたびは殿堂へ選出いただきありがとうございます。私は1991年にオリックスブルーウェーブからドラフト4位で指名していただき、日本で9年、アメリカで19年、選手としてプロ野球選手生活を過ごしました。にもかかわらず、日本の野球殿堂へ迎え入れていただくこと、大変感謝しております」。NPBでのプレー期間が少ないながらの選出に、恐縮した。
マリナーズの選手として東京ドームでの凱旋(がいせん)引退から5年が経過した。殿堂入りの資格取得1年目での選出は、史上7人目。「5年間あっという間でした。ファンの方々が作ってくれたあの瞬間を支えに、引退後も野球に携わって。野球に対して、プレーに対して未練があったりとか、そういう後ろ向きな気持ちはなく、ここまで過ごすことができました」。解説者でもコーチや監督でもなく、引退後もマ軍で選手と練習を続ける、異例の道を歩み続けている。
世界最多、日米通算4367安打のヒットマンは、次世代の育成に目を向ける。「主に高校生ですけど、出会いを通じて、僕の大いなる目標となっていて、モチベーションにもなっている。さまざまな要因から今の野球が変わっているけれども、子供たちが向き合う野球は純粋なものであってほしいと願っています」。高校生でもデータを重視する風潮に「やっぱり変えてはいけないものというものもあると思う。そこを僕は強く意識して、これから子供たちと接していきたい」と自説を披露した。
17日には阪神・淡路大震災から30年がたつ。当時を過ごした神戸への思いは不変だ。「オリックスの寮で眠ってたけれど、初めて命の危機というか『自分はこれで死んじゃうのかもしれない』と。一被災者として経験した思いを、経験しなかった子供たちに伝えていけたら」。野球、地震の伝道者として、今後の人生を費やす。「多くの人が常識だと思っていることを疑い、大事な決断は自らしてきた。感性に基づき行動してきた」自負を胸に進む。【斎藤直樹】
◆95年のオリックス 1月17日の地震発生で球団事務所、営業所が損壊。一部の選手や職員の自宅も被災したが、関係者の無事は確認。イチローら若手の住む合宿所・青濤館は幸いにも被害はなかった。2月1日には全員がそろって宮古島キャンプに参加した。3月にキャッチフレーズを「がんばろう神戸」に変更し、ユニホームの肩に「がんばろうKOBE」のワッペンを着用。3月4日にはグリーンスタジアム神戸でオープン戦を開催。被災地で初のスポーツ開催に、1万人の観衆が詰めかけた。シーズンが始まると、6月に月間19勝を挙げて独走し、球宴前に優勝マジックを点灯。9月19日に11年ぶりの優勝を決めて「復興のシンボル」となった。イチローは前年に続く首位打者、最多安打、最高出塁率に加え、打点王、盗塁王も獲得の「5冠」。文句なしで2年連続のMVPに輝いた。
○…イチロー氏はスピーチで、他の参加者へも言及した。「王監督とは第1回WBCで一緒に同じユニホームも着て、初めて戦った」と真面目に話した後で、第2回WBCの指揮官には「原監督とは、あまりいい話はないですね、監督」とジョークを飛ばして会場を笑わせた。掛布氏には「ここではとても言えない都市伝説についてお話を伺えてよかった」。森氏には「今ピッチャーをやってることもあって(指の)マメの話を」。岩瀬氏には「同郷の名古屋、愛知県出身。同じジムにも通っていたり共通点もたくさん」と話した。