勝負の1年に左腕が奮い立つ。新潟市出身のヤクルト佐藤琢磨投手(24=新潟医療福祉大卒)が、日刊スポーツのインタビューに応じた。昨オフに3年在籍したソフトバンクから戦力外通告を受けたが、興味を示していたヤクルトと育成契約。「すぐに支配下登録」を目標に、新天地で初の1軍マウンドを目指す。【取材・構成=大島享也】
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曇天が覆う新潟の空の下、最速151キロ左腕の佐藤がヤクルト入団への胸の内を明かした。
「めちゃめちゃチャンスだと思っています。戦力外になって『うわ』って落ちる部分もあったけど、逆に『やってやるぞ』って気持ちも出てきて、その面ではいい状態で入れそうです」
ソフトバンクでは主に3軍を主戦場としながらも、昨季非公式戦では50試合に登板し、1勝4敗11セーブ、防御率2・28。59回1/3で72奪三振と高い奪三振も誇った。
「自信はかなりありました。10月にはフェニックスリーグ(宮崎)にも行かせてもらったし、感覚もだいぶよかった。コーチとも来年どういう取り組みをしようかみたいな話もしていた中だったので、正直びっくりが大きかったです」
手応えをつかんだ中での戦力外通告。ヤクルトに対しては「拾ってくれた球団」としての感謝ももちながらも、ベクトルは常に自分に向ける。
「正直周りのことは気にしてられない立場でもあると。環境も変わって自分が悪い方向に行くわけにはいかないし、早期支配下を狙うには周りを気にしていたら絶対に無理だから。とりあえずは自分のことだけに集中して、でいいと思ってます」
21年にソフトバンクから育成ドラフト13位指名。全体指名の最後から2番目、127番目に名前が呼ばれた。当時を振り返ると-。
「呼ばれない覚悟はしてました。先に阪神から桐敷(拓馬)が指名されて。周りには同級生とかもいたし、11位指名ぐらいのときには『どういう顔で乗り切ろうかな』って(笑い)。でもプロ野球選手に絶対になってやろうってマインドは常に持ってたし、大学でも練習してた。野球にちゃんと向き合えた結果だと感じてます」
底からのスタートも味わっているからこそ、新天地でも自分のマインドは変わらない。
「見てくれている人は絶対にいると感じた期間でもありました。育成ドラフトとはまた違って、ヤクルトは、『まだ戦力になるかもしれない』って取ってくれたと思うので、本当にやるしかないし、やらないといけない思いが強いです」
大学時代から練習には常にひたむきに取り組んできた。オフ期間も新潟に拠点を置きながら、千葉県内のトレーニング施設「ネクストベース」に出向いたりして、鍛錬を積んでいる。
「野球に対して何事も惜しまないことが大事。最新機器とかもそろっているし、ホークス時代の縁もあったりする。いつでもどこでも、やるべきことは変わらないです」
根本にあるのは野球が「好き」であること。だからこそ、上を目指し続ける
「まずは本当に早い段階での支配下。1軍の舞台に立ちたい。そして、投げるからには勝ちパターンを任されるようになりたい」
◆佐藤琢磨(さとう・たくま)2000年(平12)3月18日、新潟県新潟市生まれ。下山小2年から新潟ポニーで野球を始める。下山中を経て、新潟青陵高に進学。高3夏は初戦敗退で、甲子園出場はなし。新潟医療福祉大では3年秋にリーグ戦デビューし、4年春に初勝利。21年にソフトバンクに育成ドラフト13位で入団。昨オフに戦力外通告を受け、ヤクルトと育成契約。1軍登板はなし。左投げ左打ち。183センチ、85キロ。血液型A。背番号は019。