<仙台育英・須江航監督インタビュー2>
謹賀新年。日刊スポーツ東北6県版ではお正月特別企画として、18年から仙台育英(宮城)を指揮する須江航監督(41)のインタビューを全4回にわたりお届けします。22年夏には東北勢初となる甲子園優勝、翌夏は同準優勝に導きました。昨年7月の新チーム始動からここまでの取り組みを始め、3月に卒業を控える3年生へのメッセージや競技人口減少問題についても語ってもらいました。【取材・構成=木村有優】
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楽天モバイルパークには、容赦なく太陽が照りつけていた。昨夏の宮城大会決勝。仙台育英ナインは汗をしたたらせながら、聖和学園相手に何度も何度も食らいついた。決着は開始から3時間後。5-8の9回裏2死、最後の打球が相手左翼手のグラブに収まり、3年生の最後の夏が終わった。
3年連続夏の甲子園まであと1歩だった。須江航監督(41)は真っすぐとしたまなざしで、その光景を見つめていた。
「この結果を受け入れない限りは何も成長ができないので、『運が悪かった』とか『本当は僕らの方が強かった』とか、そういう言い訳をしていては何の成果も得られないと。『もう1回やったら勝つでしょう』なんて、かすかにでも思っていたら成長できないので、100回やっても負けたなと思ってもらえるように丁寧に説明しました。彼ら(聖和学園)の方が能力もあったし、緻密に準備をしてきたし、この試合に勝つということに関して向き合って実行したというのが事実だから。偶然じゃなくて必然の結果だと理解してもらいました」
3年生は異色とも言える3年間だった。
「1年目は勝者、2年目は限りなく勝者に近い敗者、3年目は完全なる敗者ですから。大変学びの多い3年間だったと思います」
1年時の夏は東北勢初の甲子園優勝を経験。優勝メンバーのうち、投手3人、レギュラー5人が当時2年生。新チームの顔ぶれは大きく変わることなく、翌年も同準優勝を果たした。
「優勝した年は投手陣が複数いて、下級生が活躍する感じでした。次の代はその子たちが複数残ってチームを構成するので、絶対的な強みがありました。ピッチャー陣が2年連続で全国トップクラスのような自覚が、本人たちもあったと思います」
ただ、準優勝メンバーは構成が違った。2年生のレギュラーは2人だけ。新チームは始動から1カ月後、秋季宮城大会準々決勝で敗れ、長い長い冬を迎えた。
「投手力とか打撃力、圧倒的な守備力でとか、圧倒的な経験値で勝つぞみたいな『2024年の仙台育英の代名詞』みたいなものがなかったので。短所と向き合うのか、長所を伸ばすのか、大変難しい選択を迫られているのが冬でした」
センバツは絶望的となり、甲子園へのチャンスは最後の夏のみ。選手たちは、もがいた。
「頑張ったら頑張った分だけ結果が返ってくると信じていた子どもたちで、努力の先に幸せが待っていると思っていたと思います。頑張ったし、自分たちなりにやったんですけど、目標のはるか手前で終わってしまって。初めての挫折といったら大げさですけど、待ちに待った自分たちの代で最初につまずいた経験だったので、目標設定が難しかったですね。おのおので『勝ちたい』とか『うまくなりたい』とか『強くなりたい』という思いはあるけど、それをどう形にして、どう向かっていくかが見つからなかったですね。長く遠い未来しか待っていないので、なかなかチームはまとまりませんでした」
それでも甲子園に立つために歩みは止めなかった。幕切れは涙だったが、ここで終わりではない。
「人生は敗者復活戦」
「グッドルーザーであれ」
須江監督がこれまで口にしてきた言葉だ。3年生にも同じ言葉を贈った。
「この負けから何を学ぶかを丁寧に丁寧に説明しました。負けたところからが本当のスタートだから、感情的になりすぎてもダメだし、何かに絶望する必要はないと。『この世の終わりだ』くらいに思いますよ。高校生ですから。でも本当にいつも勝てるわけではないので、負け側に回ったときにその人間の本当の価値が出るので。大変特殊な3年間を過ごして、日本で最も経験を積んだ3年間なわけです。この経験を大学やプロ野球に進んで、きっと生かしてくれると思います」
これからも1歩1歩、進むだけだ。次回はバトンを託された1、2年生のここまでをお送りする。(つづく)