<悼む>
「あのナベツネさんが頭を下げに来たんだ。『勝った』と思ったよ。ドラフトでオレを取ると言った巨人が、だ。初めて外様を監督にすると」
6年前に死去した星野仙一さんは何度も口にし、喜びを隠さなかった。
旧ホテルオークラ地下1階「山里」。記者の群れから逃げない渡辺さんは、平日の毎晩、思うままに語った。大所から、赤ら顔で語る好々爺(や)…記者の「ナベツネ像」は固まっていて、心底うれしそうな星野さんを不思議に思った。
14年6月5日、印象は一変した。東京地裁706号室の証言台に、88歳になったばかりの渡辺さんが立った。
コーチ人事を巡って、球団代表兼GMの清武英利氏を解任。いわゆる「清武の乱」はこじれて訴訟となり、証人尋問が行われた。
開廷から1時間30分、名前を呼ばれるとお茶をグッと飲み、立ち上がった。愛用のつえを勧める周囲を手で強く制して歩き、深々と証人台に腰かけ声を張らせた。
「彼が、意図的に電話の内容を録音していた。猫なで声で『ありがとうございます』と2回、言っている。引っかけ、二重人格でないか、という疑いを持たざるを得ない!」
争点となったコーチ人事の解釈については、相手を指さしながら「その時、その時の戦況など(自分が)総合的に勘案し決める。重要事項として取り扱うことがある」と断じた。
背筋を伸ばし、メモを取り続けた6時間。迫力で修羅場を制し、なりふり構わず読売巨人軍を守ろうとした。星野さんは、禅譲されかけた物の価値をよく分かっていた。【06~09年、12~15年巨人担当 宮下敬至】