読売新聞の渡辺恒雄主筆(98)が19日未明、死去した。
渡辺氏は1926年(大15)5月30日生まれ、東京都出身。東大文学部哲学科を卒業後、50年に読売新聞社入社した。ワシントン支局長、政治部長、論説委員長などを務め、87年6月に副社長兼主筆、91年5月、読売新聞社代表取締役社長に就任した。
巨人軍の実質トップにもなり、92年秋には長嶋茂雄監督の再登板を決断。プロ球界にも大きな影響力を持ち、93年のドラフトから導入された逆指名枠の創設や、FA制度整備を進めた。96年12月には巨人オーナーに就任。名実ともに球界のリーダーになった。
02年6月、持ち株会社制移行に伴い、読売新聞グループ本社の初代社長・主筆に。04年1月には代表権のある会長に就任した。その年に起きた「球界再編騒動」では、10球団1リーグ制への移行を支持。プロ野球選手会と対立した。当時の古田選手会長がオーナー陣との直接会談を求めたことに「分をわきまえなきゃいかんよ。たかが選手が。たかがといっても、立派な選手もいるけどね。オーナーと対等に話をするなんて協約上根拠は1つもないよ」と強弁。ファンの反発を買った。直後に、巨人がアマチュア選手に約200万円を渡していたことが発覚。オーナーを辞任するに至った。
05年には球団会長として巨人に復帰し、14年には最高顧問に就任。しかし、16年3月には巨人の現役選手が野球賭博に関与していた責任を取り、当時のオーナーや球団会長らとともに辞任した。ただ一貫して読売グループのトップの座にあり、巨人の監督人事や球界のさまざまな問題に関与し続けた。
今年は3月21日の燦燦会に車椅子で出席。「今年こそは優勝、日本一に向けて頑張っていただきたい」とあいさつした。