<陵(たか)みを目指して・連載4>
阪神は今秋ドラフトでNTT西日本の即戦力左腕、伊原陵人(たかと)投手(24=大商大)を1位指名しました。日刊スポーツでは伊原投手の幼少期からプロ入りまでの歩みを「陵(たか)みを目指して」と題し、連載でお届けします。第4回は大商大時代に学んだマウンド度胸。
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伊原陵人は大商大でマウンド度胸を培った。
「俺が抑えるから任せろ!」
大学4年秋の明治神宮大会準決勝、国学院大戦。リードを4点に広げられ、なお2死満塁の8回、伊原は5番手で救援登板した。捕手の碓井雅也(24=現三菱重工West)が声をかけにマウンドに向かうと、鋭い眼光で返してきた言葉だった。試合には敗れたが、有言実行の無失点で大学ラストマウンドを終えた。
「気持ちの面や負けん気。いつでも(マウンドに)行くという人間的な部分で成長できたと思います」
智弁学園でエースとして活躍し、関西の強豪大商大に進学。1年時から4年間、バッテリーを組んだのは天理出身の同学年、碓井だった。高3夏は奈良大会の準決勝で対決し碓井が勝利。伊原が大商大に進学することを知っていた碓井は「こんな良いピッチャーとバッテリーを組みたい」と当時からタッグを楽しみにする逸材だった。
入学後、すぐに2人は意気投合。コロナ禍ではオンライン授業の合間に一緒に練習するため、同じ講義を選択した。ともに1年生から遠征にも同行。けんかしたことは1度もなかった。碓井は「コントロールがいいので、打たれたら自分のせいと思いながら配球していました。サインにも首を振らないタイプ」と振り返る。3年春のリーグ戦では5勝し、そろってベストナインに選出された。
プライベートの伊原はいつも輪の中心で笑っていた。「ふざけたり、よくしゃべる。だけどマウンドに上がると目が変わる。そのギャップがすごい」。マウンドではポーカーフェースを貫き、ひとたび野球を離れると、会話の盛り上げ役。先輩にも後輩にも愛される存在だった。
伊原が入学時、4年生投手に大西広樹(ヤクルト)と橋本侑樹(中日)が在籍。伊原は貪欲に質問し、吸収していった。1学年後輩の投手には上田大河(西武)と高太一(広島)がいた。プロ注目、身内のライバルたちの存在が伊原の負けん気を刺激した。大商大の富山陽一監督(60)は「智弁では大エースでも、うちに来たら大エースでなくなった。『こいつらに負けへん』という気持ちで練習をしていたように見えました。競争する人がいて成長したと思います」。ハイレベルな切磋琢磨(せっさたくま)で進化を続けた。
先発でも中継ぎでも抑えでもマウンドに上がり、自身もプロ注目選手に成長した。そして22年10月20日。満を持してドラフト会議を迎えた。【村松万里子】(つづく)