<陵(たか)みを目指して・連載2>
阪神は今秋ドラフトでNTT西日本の即戦力左腕、伊原陵人(たかと)投手(24=大商大)を1位指名しました。日刊スポーツでは伊原投手の幼少期からプロ入りまでの歩みを「陵(たか)みを目指して」と題し、連載でお届けします。
第2回は忘れられない言葉。
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阪神ドラフト1位のNTT西日本・伊原陵人(たかと)投手(24)には中学の恩師から受け取った、忘れられない言葉がある。
小学生時代は入退部を繰り返しながらも、チームの主力として頭角を現し、中学でさらなる活躍が期待されていた。しかし、奈良・橿原市の八木中に入学し、入部届を提出したのは野球部ではなくまさかの柔道部だった。
「小6でもう野球いいやってなって全然やる気にならなかった。正直友達と遊ぶ方が楽しいと思っていたので…」。仲の良かった友達に促されるように始めた柔道は一筋縄ではいかなかった。「いやー負けましたね。楽しかったんですけど投げられて良い気持ちはしなかったんで『次絶対やったるかな』っていう感じでやってました」。競技は違えど人一倍の闘争心で競技に打ち込んだ。
中学1年生の冬、小学校に続き、またしても転機が訪れる。柔道部の練習後はいつも野球部の横のグラウンドを通って帰宅。野球部の同級生たちの姿を見るたびに、奥底に眠っていた野球愛が再燃した。「突然降りてきた」という野球への思いを、すぐ行動に移した。「結構髪を伸ばしていたんですけど、その日に家でバリカンで丸刈りにしました」。翌日登校すると同級生たちは大騒ぎした。「ヤバイやつきた! みたいな。そんな感じでしたね(笑い)」。目に見える覚悟と誠意で、柔道部へ退部を申し入れた。続けて当時野球部の顧問で、現在は同校の校長を務める河内剛監督(58)のもとへ入部を懇願した。しかし、監督の返事は「却下」。まさかの展開だった。
監督はもともと伊原の野球選手としての才能に気づいていた。「小学校の時に体験入部に来たんですけど、やっぱり一番良かったでね。だから(野球を)やるもんだと思っていたら柔道行って『あれ? 』って。でも柔道部の先生も期待されてたので、本人には『柔道続けろ』とはじめは言いました」。それでも伊原は食い下がり、2日連続で現れた。この熱意に監督は根負け。1つの約束を取り付け、伊原の入部を許可した。
「一生野球をやめないこと」。この瞬間から伊原の「本気の野球道」が始まったともいえる。その言葉を胸に刻みながら、高校、大学、社会人と順調に階段をのぼり、ついにプロ野球の世界にまでたどり着いた。「感無量です」。恩師との出会いが伊原に覚悟を植え付け、次のステージで一気に飛躍することとなった。【山崎健太】(つづく)