<SHO-BLUE ワールドチャンピオン特別編>
日刊スポーツでは今季、毎週火曜日に「SHO-BLUE」と題した企画を掲載してきた。ドジャーブルーの青きユニホームで挑戦を続ける大谷選手の世界観に、さまざまな角度からアプローチしてきた。「SHO-BLUE WORLD CHAMPION 特別編」として、夢の1つを実現させた大谷選手のメジャー挑戦7年間をあらためて読み解いていく。
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「スター・ウォーズ」と呼ばれたヤンキースとの盟主対決で、大谷翔平はその象徴的な存在としてプレーし、頂点へたどり着いた。押しつぶされそうな重圧があっても不思議ではない。だが、大谷は左肩負傷のアクシデントに見舞われても、時に高ぶる感情を表しつつ、常に笑みを絶やすことなく、激戦のグラウンドに立ち続けた。これまで数多くの日本人メジャーがワールドシリーズ(WS)に出場し、チャンピオンリングを手にしてきた。ただ、大谷は世界中から視線を浴び、「大谷シリーズ」と言っていいほどスポットライトの中心でプレーした結果、念願の「世界一」を手にした。その圧倒的な存在感は、国籍や人種の枠組みを超え、まさに別格だった。
09年、ヤンキース松井秀喜は、フィリーズ相手に持ち前の勝負強さを発揮し、文句なしの成績で日本人で初めてWSのMVPを獲得。今もなお、レジェンドの1人としてファンの心に刻まれている。当時のヤンキースは主将ジーター、Aロッドらが居並ぶスター軍団。ニューヨークでも「ゴジラ」として人気を集めた松井は、豪華メンバーの一員としてWSで躍動した。その一方、相次ぐ故障もあり、契約切れとなった同オフにはFAとなり、ヤンキースを退団した。
WS制覇が、全メジャーリーガーの目標であることは言うまでもない。プロである以上、当然のことだが、決まり文句として言語化する場合と、重圧にさらされる中で決意を語るのでは、言葉の熱量も重みも異なる。昨オフ、ドジャースとの移籍交渉の際、自らの年俸の大半を「後払い」にしてまで、勝つことにこだわった大谷は、年間を通して世界一への強烈な思いを繰り返してきた。決して無欲などではなく、あふれ出る欲を包み隠すことなく、先頭に立って闘い続けた。
団体競技である以上、大谷1人の力で勝てるわけではない。ただ、自らの役割を認識し、同僚の不足分を補い合えれば、「個」の力はより強い「束」となる。移籍1年目の大谷が、ドジャースを束ねてきたかどうかは定かではない。だが、大谷が舞台の中心に立ち続けることで、ベッツ、フリーマンとのMVPトリオが絶妙な化学反応を起こし、プラスのベクトルを生んだことは間違いない。
「世界一」を宣言して踏み出した24年。勝利を渇望してきた大谷は、王道を真っすぐに歩き続け、真の勝者になった。【四竈衛】