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大谷翔平メジャー挑戦7年間…圧倒的存在感、勝利欲隠さず「世界一」繰り返しチームを『束』に


大谷翔平選手がロサンゼルス・ドジャースでワールドシリーズを制覇したことに対する記事です。彼のメジャーリーグへの挑戦は7年にわたり、今季「SHO-BLUE」として注目され続けてきました。ヤンキースとの対決で象徴的な存在となり、左肩負傷などの試練を乗り越えながら、ドジャースとともに頂点に立ちました。日本人選手として特別な存在感を示し、2009年に松井秀喜が成し遂げた快挙にも劣らない成果を上げました。大谷は、移籍交渉の際に年俸の大半を後払いにしながらも勝利への強い意欲を示し、ドジャースのチームとしての結束力を高めました。移籍1年目で即座に成功を収めたことが称賛されています。

ワールドシリーズ制覇に喜ぶドジャース大谷翔平(ロイター)

<SHO-BLUE ワールドチャンピオン特別編>

日刊スポーツでは今季、毎週火曜日に「SHO-BLUE」と題した企画を掲載してきた。ドジャーブルーの青きユニホームで挑戦を続ける大谷選手の世界観に、さまざまな角度からアプローチしてきた。「SHO-BLUE WORLD CHAMPION 特別編」として、夢の1つを実現させた大谷選手のメジャー挑戦7年間をあらためて読み解いていく。

    ◇    ◇    ◇  

「スター・ウォーズ」と呼ばれたヤンキースとの盟主対決で、大谷翔平はその象徴的な存在としてプレーし、頂点へたどり着いた。押しつぶされそうな重圧があっても不思議ではない。だが、大谷は左肩負傷のアクシデントに見舞われても、時に高ぶる感情を表しつつ、常に笑みを絶やすことなく、激戦のグラウンドに立ち続けた。これまで数多くの日本人メジャーがワールドシリーズ(WS)に出場し、チャンピオンリングを手にしてきた。ただ、大谷は世界中から視線を浴び、「大谷シリーズ」と言っていいほどスポットライトの中心でプレーした結果、念願の「世界一」を手にした。その圧倒的な存在感は、国籍や人種の枠組みを超え、まさに別格だった。

09年、ヤンキース松井秀喜は、フィリーズ相手に持ち前の勝負強さを発揮し、文句なしの成績で日本人で初めてWSのMVPを獲得。今もなお、レジェンドの1人としてファンの心に刻まれている。当時のヤンキースは主将ジーター、Aロッドらが居並ぶスター軍団。ニューヨークでも「ゴジラ」として人気を集めた松井は、豪華メンバーの一員としてWSで躍動した。その一方、相次ぐ故障もあり、契約切れとなった同オフにはFAとなり、ヤンキースを退団した。

WS制覇が、全メジャーリーガーの目標であることは言うまでもない。プロである以上、当然のことだが、決まり文句として言語化する場合と、重圧にさらされる中で決意を語るのでは、言葉の熱量も重みも異なる。昨オフ、ドジャースとの移籍交渉の際、自らの年俸の大半を「後払い」にしてまで、勝つことにこだわった大谷は、年間を通して世界一への強烈な思いを繰り返してきた。決して無欲などではなく、あふれ出る欲を包み隠すことなく、先頭に立って闘い続けた。

団体競技である以上、大谷1人の力で勝てるわけではない。ただ、自らの役割を認識し、同僚の不足分を補い合えれば、「個」の力はより強い「束」となる。移籍1年目の大谷が、ドジャースを束ねてきたかどうかは定かではない。だが、大谷が舞台の中心に立ち続けることで、ベッツ、フリーマンとのMVPトリオが絶妙な化学反応を起こし、プラスのベクトルを生んだことは間違いない。

「世界一」を宣言して踏み出した24年。勝利を渇望してきた大谷は、王道を真っすぐに歩き続け、真の勝者になった。【四竈衛】

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