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【なでしこ】「それじゃあ澤さんになれないぞ」負けず嫌い谷川萌々子に火を付けた存在


女子サッカー日本代表MF谷川萌々子(2024年7月29日撮影)

<取材ノートから~パリ五輪編>

パリ五輪で、戦いの裏側や勝敗を超えた選手の生きざまなどを現地から伝えてきた日刊スポーツ取材班が、心に残る出来事を「取材ノートから~パリ五輪編」と題してつづります。

   ◇   ◇   ◇

8強に進出したサッカー女子日本代表なでしこジャパンのMF谷川萌々子(19=ローセンゴード)は、初めての五輪で悔しさとともに「憧れ」へ1歩、近づいた。

デビューは1次リーグ第2戦のブラジル戦。敗色濃厚の0-1の後半35分に途中出場でピッチに立つと、同44分にPKを獲得し、同点ゴールをお膳立て。そして追加タイム6分には、約35メートルのロングシュートで、チームに劇的な勝利をもたらした。「小さい頃からの夢の舞台で得点することができて本当にうれしい。ゾーンに入ることができていた」と、納得の表情で振り返った。

幼い頃から「スーパー小学生」として騒がれた有望株。11年の女子W杯で優勝を成し遂げたレジェンド澤穂希さんを「憧れの存在」と公言する。当時6歳だった女の子の脳裏にもその勇姿は焼き付いているが、憧れる理由はそれだけではない。

JFAアカデミー福島時代に指導を受けた見汐翔太さんの存在が大きかった。W杯優勝にテクニカルスタッフとして同行しており、幾度となく「澤さん」を意識させてくれた。その頃から、谷川は両足を自由に操れ、サッカーセンスは抜群だったが「チームでも中堅よりも低かった」運動量が課題だった。そこで見汐さんは、ゲーム形式の練習などであえて相手チームのボランチに入り、切り替えの場面で谷川を追い抜くたびに「それじゃあ澤さんになれないぞ」とハッパをかけてくれたという。

負けず嫌いに火が付いた。同世代では頭一つ抜けた存在だったが“澤基準”を念頭に練習を重ねた。そして19歳で迎えた今回の五輪。「憧れ」もなしえなかった10代得点を記録した。男女通じて最年少得点。日本サッカー史に名を刻んだが、その胸には喜びよりも、悔しい思いが残った。大会前の負傷によりコンディションは万全ではなく、大会中も体調不良に陥った。パリ最後の試合となった準々決勝米国戦はメンバー外。輝いたのは、ブラジル戦1試合だけだった。

23歳で迎える28年ロサンゼルス五輪。次は中心メンバーとして期待がかかる。日本女子の過去最高は12年ロンドン大会での準優勝。「澤超え」の金メダルを目指し、ここからの4年間を進む。【佐藤成】

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