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龍谷大平安・原田英彦監督が同郷のライバル清川栄治さん悼む 教え子炭谷銀仁朗は西武復帰にも縁


龍谷大平安・原田英彦監督(2023年3月28日撮影)

龍谷大平安の原田英彦監督(63)が、高校時代のライバル校の1学年下の投手で、5日に62歳で死去した西武の投手育成アドバイザー、清川栄治(きよかわ・えいじ)さんを悼んだ。

原田監督によると、北野中だった清川さんと九条中だった原田監督は中学時代にも対戦経験があったという。平安(当時)3年の夏、京都商(現京都先端科学大付)の隠し玉だった2年生投手の清川さんの登板により、聖地行きの夢は破れた。

1978年(昭53)の京都大会3回戦、2年連続で京都大会を制していた京都商と当たった。

平安は、3年生のエース右腕が投げることを予想していた。原田監督は「メンバー表見たら、『先発・清川』って書いてあったんです。『え。何これ』って。そしたら、うちが6人左バッターがおったんで平安の左対策として、彼を隠してたんですよね。当時の京都商の勝山(五郎)監督は」と振り返る。

相手指揮官の策が的中し、2-6で平安は敗れた。京都商は夏の京都大会で3連覇を飾り、甲子園に出場した。

隠し玉だった清川さんの登板を「勝山監督は、選手の人柄まで全部知ってはったんですよ。それぐらいその時の平安は強くて、平安を倒さないと甲子園はいけないと思ったから、勝山さんは『ずっと隠していた』と。まだ、知られていなかった存在だったけど、清川を少し横手投げにしてね。おまけに左バッターの多い学校を選んで試合をしてたと。うちの試合に臨まれて、やっぱり(平安も)苦労したんですよ。まっすぐもいいし、スライダーもキュッと曲がるし。あれあれっていう間に負けてしまったんですよね。僕は当時の京都商に1、2、3年と3連覇されました。僕らは勝ち目がなかったんですよね」。

原田監督によると、母校の監督就任後の教え子・炭谷銀仁朗が西武入団時に、清川さんのとの再会が実現したという。「炭谷が西武に行って会ってるんですよ。『久しぶり』って。もう本当にね、すごくいいやつなんですよ。本当にいい人間で。確か高校の時に多分母子家庭だったと思うんですよね。僕は小学校の時に新聞配達してましたけど、彼も高校の時に、野球の活動があるのに、新聞配達をしてて。そういうやつやったんですよね。すごくハングリー精神もあったし。だから、人間的にすごく素晴らしいやつだったですよね。ハートも強かったし、のちにね、大阪商業大学に行って、そこからプロの道に行ったので、僕はずっとすごく応援してました」と話した。

24年に楽天から西武に復帰した炭谷を重ね「今回、銀仁朗が西武に戻ったので、どっかでお話ししたいなってずっと思ってたんです。京都出身でね、縁がたくさんあるので。彼も僕らも、相当の年齢いってますから。あとは、京都野球界のためにね、できたらいいんやないかなって。この年までずっとコーチしてましたから。やっぱり皆が必要な人間だったんでしょうね、そんなことも思ってたんですけど、非常に残念です」。ともに同郷の野球人として汗を流した故人をしのんだ。

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