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「二流半のやることですよ」挑発受けた長嶋茂雄監督が1度だけ語った“ID野球” 担当記者悼む


1996年のプロ野球では、ヤクルトの野村克也監督と巨人の長嶋茂雄監督が激しく対立していました。野村監督はID野球を推進し、相手の配球を読むことに重点を置いていました。一方、長嶋監督は「来た球を打つ」といった自然体のアプローチを採用し、このアプローチには「血へどを吐くような鍛錬」が必要だと言いました。同年、巨人は劇的な逆転優勝を果たし、松井秀喜が重要な役割を果たしました。現在のデータ重視の野球の潮流にもかかわらず、長嶋監督の理想と情熱は独特のものであり、彼のような監督は今後現れないかもしれません。

96年11月、東西対抗でヤクルト野村監督と笑顔

担当した当時、セ・リーグは長嶋巨人と野村ヤクルトがしのぎを削っていた。テレビや新聞で、野村監督は長嶋巨人をさかんに挑発。長嶋監督が挑発に乗ることはなかったものの1度だけ、直接的ではなかったが、野村監督のID野球について語ったことがあった。

96年春。開幕して2週間余りがすぎた夜のことだった。監督と担当記者の食事会があった。

「来た球を打つ。あるがまま、なすがままの境地ですよ」。長嶋監督が絶好調の落合の打撃を解説していた時だった。そこまで話すと突然、思い出したように「ピッチャーの配球を読んで打つなんて二流半のやることですよ」と言い切った。

「配球を読む」は、まさに野村監督のID野球である。現役時代の同監督は、相手投手のクセや配球を研究し狙い球を絞って打った。そこから生まれたのがID野球。一方の打者長嶋は「来た球を打つ」天才型だった。もっとも長嶋監督に言わせれば来た球を打てるようになるには「血へどを吐くような鍛錬が必要」だという。

同年、巨人は最大11・5差を逆転する「メークドラマ」で優勝した。4番打者に育てあげた松井が打線を引っ張った。マンツーマンの素振りで鍛え上げた話は有名だが、暗闇の中、スイングの型ではなく音をチェックしたというのも長嶋監督らしい。

今や日本もメジャーもデータ野球全盛の時代。それでも長嶋監督は言うだろう。「来た球を打て」と。高い理想、情熱、そして誇り。もう、こんな監督には出会えないかもしれない。【96年巨人キャップ・福田豊】

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