
担当した当時、セ・リーグは長嶋巨人と野村ヤクルトがしのぎを削っていた。テレビや新聞で、野村監督は長嶋巨人をさかんに挑発。長嶋監督が挑発に乗ることはなかったものの1度だけ、直接的ではなかったが、野村監督のID野球について語ったことがあった。
96年春。開幕して2週間余りがすぎた夜のことだった。監督と担当記者の食事会があった。
「来た球を打つ。あるがまま、なすがままの境地ですよ」。長嶋監督が絶好調の落合の打撃を解説していた時だった。そこまで話すと突然、思い出したように「ピッチャーの配球を読んで打つなんて二流半のやることですよ」と言い切った。
「配球を読む」は、まさに野村監督のID野球である。現役時代の同監督は、相手投手のクセや配球を研究し狙い球を絞って打った。そこから生まれたのがID野球。一方の打者長嶋は「来た球を打つ」天才型だった。もっとも長嶋監督に言わせれば来た球を打てるようになるには「血へどを吐くような鍛錬が必要」だという。
同年、巨人は最大11・5差を逆転する「メークドラマ」で優勝した。4番打者に育てあげた松井が打線を引っ張った。マンツーマンの素振りで鍛え上げた話は有名だが、暗闇の中、スイングの型ではなく音をチェックしたというのも長嶋監督らしい。
今や日本もメジャーもデータ野球全盛の時代。それでも長嶋監督は言うだろう。「来た球を打て」と。高い理想、情熱、そして誇り。もう、こんな監督には出会えないかもしれない。【96年巨人キャップ・福田豊】