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ドーハを歓喜の地へ=「行雲流水」の森保監督―W杯サッカー


 冬のドーハはよく風が吹き、高い空の雲はゆったり流れる。「『行雲流水』の気持ちは変わらない」。からりとした暑さの中、日本代表を率いる森保一監督(54)の表情はいつも穏やかだった。  1日のワールドカップ(W杯)カタール大会メンバー発表会見で心境を表した四字熟語は、物事に執着せずに自然の成り行きに任せることを意味する。ドイツとの初戦を前にしても、自然体でいる姿は変わらなかった。  この境地と29年前の出来事は、無縁ではないはず。1993年10月、日本代表選手としてW杯米国大会アジア最終予選をドーハで戦い、初出場の夢を目前で逃した。今も語り継がれる「ドーハの悲劇」は、日本サッカーの転換点でもあり、監督の人生観も変えた。  起きたことは全て現実―。「想定外のことに対しても、自分たちから乱れて崩れてはいけない。何が起きてもベストを尽くして戦おう」。この4年、困難を前にする選手に繰り返し伝えてきた。  カタールを目指したW杯アジア最終予選は1勝2敗と出遅れた。「次で終わりか」。崖っぷちに立たされ、動揺するスタッフもいる中、昨年10月12日のオーストラリア戦で起死回生の勝利。吉田麻也主将=シャルケ=(34)は「悪くなった時にぶれてしまう監督はいる。でも、森保監督は1ミリもぶれなかった」と振り返る。  「一戦一戦が生きるか死ぬか」。代表監督を引き受けた時から覚悟は決めていた。「日本代表の勝利のために、日本サッカーの発展のために。全てはそこ」。常に勝利が求められる立場になっても、サッカー界全体の成長も追求してきた。「悲劇」が原点にあるからに違いないだろう。  絶望で打ちひしがれた因縁の地に、26人のサムライを率いて指揮官として戻った。ドイツ、スペインのW杯優勝経験国に挑む1次リーグは、日本サッカーの29年の歩みを示す絶好の場になる。  「リベンジという気持ちは持っていない。私の経験は悲しいことであったが、ドーハの悲劇を歓喜に変えられるようにしたい」。選手として手が届かなかったW杯。強豪ドイツを破る会心の勝利で、苦い記憶と決別する戦いが始まった。 (ドーハ時事) 【時事通信社】 〔写真説明〕後半、笑顔を見せる森保監督=23日、ドーハ 〔写真説明〕試合終了後、堂安(中央右)を迎える森保監督(同左)=23日、ドーハ
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