日米両政府が米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の全面返還で合意してから、12日で25年がたった。5~7年以内に返還するとの内容だったが、代替施設を名護市辺野古に建設する現行計画が決まるまでに10年を要し、迷走を経て着工したものの、返還の実現はなお見通せない。「辺野古ありき」の政府の姿勢に県民の反発は強く、移設問題は国と沖縄の分断の象徴と化した。  普天間飛行場の移設先とされた名護市辺野古の埋め立て区域では、12日も工事が続けられた。加藤勝信官房長官は同日の記者会見で「辺野古移設が唯一の解決策だ。着実に工事を進めることこそが、普天間の一日も早い全面返還、危険性除去につながる」と強調した。  1995年に発生した米兵による少女暴行事件で沖縄の「反基地」感情が高まり、日米合意につながった。だが、条件となった代替施設の具体化が難航。日米両政府は2006年、辺野古沿岸部を埋め立て、2本の滑走路を「V字型」に整備する方針を決めた。ところが、09年に発足した旧民主党の鳩山政権は「県外移設」を掲げた揚げ句、辺野古移設に回帰するなど迷走を重ねた。  潮目が変わったのは12年の第2次安倍政権発足だ。政府は沖縄振興策の充実で環境を整え、仲井真弘多知事(当時)から埋め立て承認を取り付けた。14年に移設反対を掲げる翁長雄志知事(同)が誕生した後も、工事の準備にまい進。18年12月、辺野古沿岸部への土砂投入に踏み切った。  菅義偉首相は官房長官時代、移設作業を「粛々と進める」とたびたび発言して沖縄の反対に耳を貸そうとせず、翁長氏は「上から目線」と厳しく批判した。菅政権になっても基本方針に変わりはなく、今年3月の日米安全保障協議委員会(2プラス2)では、辺野古移設について「可能な限り早期に建設を完了する」ことを確認した。  近年、中国の台頭で日本を取り巻く安全保障環境は日米合意の当時から大きく変化した。中国は沖縄県・尖閣諸島周辺で領海侵入や威圧的な行為を繰り返し、中国と激しく覇権を争う米国は沖縄の戦略的価値をより重視している。防衛省幹部は「米軍なしで日本は守れない。沖縄の重要性は増している」と指摘する。  だが、埋め立て海域で見つかった軟弱地盤は、今後の工事の進捗(しんちょく)を一気に不透明にした。沖縄防衛局は7万本余りのくいを打ち込み地盤を強化する方針だが、設計変更には県の承認が必要だ。県は審査を続けているが、玉城デニー知事は認めないとみられ、新たな法廷闘争は避けられそうにない。仮に認められても、総工費は約9300億円と当初計画の2.6倍に膨張、返還時期は30年代以降と見込まれる。  辺野古移設の是非が問われた19年の県民投票では、投票総数の7割超が反対だった。「25年間、返還が実現しない最も大きな理由は、県民の頭越しで合意した計画に固執しているからだ」。玉城氏は9日の会見で政府の対応を非難、県との対話に応じるよう求めた。 【時事通信社】 〔写真説明〕米軍普天間飛行場に並ぶ輸送機オスプレイ=12日午後、沖縄県宜野湾市

情報提供元 : 時事通信社
記事名:「 普天間返還、見通せず=「辺野古」国・沖縄の分断象徴―日米合意から25年