次代を担う成長企業の経営者は、ピンチとチャンスが混在する大変化時代のどこにビジネスチャンスを見出し、どのように立ち向かってきたのか。本特集ではZUU online総編集長・冨田和成が成長企業経営者と対談を行い、その経営戦略に迫る。
1985年慶應義塾大学卒業後、株式会社富士銀行入行(現(株)みずほ銀行)。1988年より英国ロンドン大学政治経済大学院へ留学し、1989年からの富士銀行ロンドン支店勤務を経て、1994年富士銀行人事部配属。2000年からは富士コーポレートアドバイザリー株式会社のマネージングディレクタ-として、MBO、M&A、事業再生、ストラクチャードファイナンスを実施。2009年に株式会社シードへ取締役として入社。2010年より代表取締役社長に就任(現任)し、国内の使い捨てコンタクトレンズの売上拡大とともに、海外展開へも力を入れ、会社の規模(売上高・総資産)を約3倍に、営業利益を約13倍に拡大させた。
当社は、1951年にコンタクトレンズの研究を開始以来、半世紀以上にわたり培った技術・信頼をもとにコンタクトレンズ事業を中心とした眼に関するさまざまな商品を世に送り出しています。時代と共に多様化するニーズに対応し、使い捨てコンタクトレンズを中心に高品質・高付加価値の商品を展開しています。更に、アジア・ヨーロッパ地域をはじめとする50以上の国と地域に進出し、世界のお客さまの「見える」をサポートしています。
目次
これまでの事業変遷について
冨田:まずは、貴社の変遷についてお話しいただけますか。
株式会社シード 代表取締役社長・浦壁 昌広氏(以下、社名・氏名略):当社は今年で創立67年目になりますが、創立以前に5年ほど法人化せずに事業を行っていた時期もありますので、実質70年以上の歴史がある会社です。
コンタクトレンズは、戦後の時点でアメリカでは既に実用化されていましたが、日本ではまだ知られていませんでした。そこに、海外から情報や技術が入ってきて、日本のいくつかの企業と大学が協同し研究を始めたのが、日本のコンタクトレンズ産業の始まりです。
当社の創業者である厚澤弘陳の家業は義眼の製造業でした。戦後の時代は傷病軍人の方も多く、義眼の需要が大きかったのですが、創業者の厚澤ととある大学教授との出会いで、コンタクトレンズの研究に着手したことが当社の始まりです。
冨田:その後の、日本のコンタクトレンズ産業の発展についてもお話しいただけますか。
浦壁:まずは、大学生を中心にコンタクトレンズが普及し始めました。しかし、当時販売されていたコンタクトレンズは高価で、コンタクトレンズを両眼分購入すると、約1カ月半分の給料がなくなってしまうほど手の出しにくいものでした。また、毎日手間のかかる消毒をする必要があり、大変な労力をかけて手入れしていた時代でした。
その後、技術が発展する中で、日本では光学的な側面で優れているハードコンタクトレンズや、装用感がハードと比較して良好なソフトコンタクトレンズが普及していきましたが、使いやすさや簡便性においては使い捨てコンタクトレンズに優位性がありました。眼科医の方々も、医学的に見ればハードコンタクトレンズが良いとの意見でしたが、実際に消費者から求められたものは、使い捨てコンタクトレンズでした。また、このタイミングでアメリカの企業が日本のコンタクトレンズ市場に参入し、日本国内のソフトコンタクトレンズのシェアを一気に獲得したことも使い捨てコンタクトレンズの普及に影響しています。
冨田:コンタクトレンズ市場の現在と今後の見通しはいかがでしょうか。
浦壁:現在の、日本のコンタクトレンズの小売市場は約4,000億円超と大きい市場に成長していますが、その6割は外資系の企業がシェアを占めています。
また、今後の市場の見通しとしては人口減少による影響を懸念する声もありますが、最近の学校保険統計では、小学生の38%は視力が1.0未満との調査結果がでており、裸眼では黒板がはっきりと見えない子どもたちも年々増えてきています。これは、スマートフォンやタブレットの普及などが影響しています。このような近視の低年齢化による近視用コンタクトレンズの需要増加や、高齢化による遠近両用コンタクトレンズ市場の伸長が要因の需要の膨らみが人口減少を上回ると考えています。
さらに、世界的に需要が増えているだけでなく、ニーズも多様化されており、カラーコンタクトレンズやデジタルとの融合など、さまざまな分野で展開が求められます。我々はこれらの幅広いニーズに応えることで大きなビジネスチャンスがあると考えています。
経営判断をする上で最も重視していること
冨田:浦壁社長が経営において意思決定をする際の考え方や重視している判断軸はありますか。
浦壁:大きな流れと、その背景になっているストーリーは見失わないようにしています。つまり、合目的的な対応であれば、多少、手段や進める道筋などは臨機応変に変えても良いと考えています。加えて、自社だけの力で戦っても競合企業には勝つことは難しいので、大学や外部の研究機関、時には同業他社とのアライアンスなど、その時その時で最も良いチームアップをするための選択をしていくことが大切だと考えています。
また、原料から商品まで自社で一貫して作れるというプロセスを持っているというメーカーとしての強みにも価値があると思っています。この軸を持ったうえで、オープンイノベーションを取り入れながら大きな図柄が描けるようにしていくという方針で行ってきましたし、これからも個々は変えずに取り組んでいくつもりです。
経営者としてのルーツ、過去の経験から積み上がったご自身の強み
冨田:浦壁社長の出身は銀行で、現在全く違う業界で活躍されていますが、それらのルーツが、会社経営において何かしらつながっている部分もあるのでしょうか。
浦壁:私は、大学を卒業して銀行に入り、最初に配属されたのはリテール部門で、そこでは中小企業の卸問屋さんやメーカーとの取引を担当しました。当時はまさに昭和の文化というような職場で、良い面も悪い面も多くの経験を積むことができました。
その後、英国留学させていただき、経済問題における非完全競争モデルでの問題解決手法についてマクロ的に学びました。この留学経験を通じて、様々な人の意見を幅広く取り入れることができて良かったと思います。
さらに、その後英国の企業、地方公共団体、財務子会社等を担当し、多くの商談や金融の会議に参加しました。そこでは、英語が得意でなくても、真剣勝負の場でどうにかして相手を納得させて帰ってくるという能力が身についたと思います。
その後は全く違う仕事につき、人事部の調査役となり約12,000人の社員の人事を担当して人を動かすということを学ぶとともに、経営者に近いポジションでしたので、経営者の目線で物事を考えることができるようになりました。さらに、その延長でM&Aや事業再生、プライベートエクイティ投資も担当したことで、投資家目線の仕事を経験できたことも大きな財産です。
このように、私は20代のころから、自分が動くだけでなく、マネジメントなど他人を動かす必要のある仕事を長くしてきたことが、私の強みだと思います。
思い描いている未来構想
冨田:この先思い描いている未来構想についてお聞かせください。
浦壁:この業界の中で、サステナブルに生き残っていくためには、必ず一定の企業規模が必要であると考えています。具体的には500億円を超える規模の売上高とそれを支える生産力です。つまり、日本のマーケットの20%程度は当社商品でカバーできるような商品供給体制の構築が必須ということです。そのためには、自社の生産力の拡大に加えて、外部へのソーシング能力を高めることも必要であり、共にイノベーションを起こすための仲間作りが非常に重要です。
また、海外に目を向けると、アジアの国々では10年前の日本に近いステージの国も多いです。それに対し、それぞれのマーケットに合わせてミドルクオリティ・ミドルプライスの商品をマス規模で提供していくということも行っていきます。さらに、薬や電子デバイスとの融合や近視進行抑制への挑戦などサプライチェーンが短い当社だからこそできることも活かしていきたいです。通常のマスマーケットで勝つということはなかなか難しいですが、これらの活動を通して、負けない体質をつくることはできると考えていて、この体質を作るということが、この先5年間の私の仕事として取り組んでいます。
ZUU online ユーザーならびにその他投資家へ一言
冨田:最後にZUU onlineをご覧の投資家の皆様に一言いただけたらと思います。
浦壁:視覚は人間が得る情報の80%を占めているといわれており、今後開発されていく様々なデバイスも見ることで操作されるものが多いと思います。コンタクトレンズはそこに対しての機能を提供しているという面でみると広い機能を提供していると言えます。もっというと、生体デバイスとして捉えることも可能です。このようなことを自社ブランドで提供している企業は世界でも限られているので、今後どういうような流れができていくかで世の中が大きく変わってくると思うので、我々もそこをうまくかき回していきたいなと思っています。
また、投資家の方々も、関心を持って見直していただけると、小さいものを作っている企業だけど装置産業で、なおかつ可能性の幅も広いので、期待できるものがあると感じてもらえるのではないかと思いますので、応援いただけたら嬉しいです。
- 氏名
- 浦壁昌広(うらかべ まさひろ)
- 社名
- 株式会社シード
- 役職
- 代表取締役社長