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ポイント
・ 大気中酸素の安定同位体比δ18Oatmの日内・季節・経年変動の観測に初めて成功
・δ18Oatmの日内変動を用いて大気中の酸素濃度の変動を生物活動由来と化石燃料由来に分離
・δ18Oatmの経年変動を用いて生物活動の長期変動を評価する手法を提唱
【画像:https://kyodonewsprwire.jp/img/202502204512-O1-h6FOP84B】
概 要
国立研究開発法人 産業技術総合研究所(以下「産総研」という)環境創生研究部門 環境動態評価研究グループ 石戸谷重之 研究グループ長(兼務:ゼロエミッション国際共同研究センター)と、国立大学法人 宮城教育大学 菅原敏 教授、国立大学法人 千葉大学 岡崎淳史 准教授は、大気中のO2の安定同位体比の日内変動、季節変動、および経年変動を観測することに初めて成功しました。
O2やCO2など大気成分の濃度は呼吸・光合成といった生物活動と化石燃料の消費活動を反映しています。これらの活動は日内や季節によって、また経年的に変動するため、それに伴い大気成分の濃度も変化しています。しかし、大気成分の観測結果からは、濃度変化がどの活動に由来するかを区別することは困難です。一方、大気中のO2には主として2種類の安定同位体16O16Oと18O16Oがありますが、化石燃料を消費する際にはこれらが区別なく消費されるのに対して、生物の呼吸では16O16Oが優先的に消費され、光合成では原料となる水と同じ同位体比のO2が放出されるという特徴があります。そのため大気中の酸素の安定同位体比(δ18Oatm)の変化を観測することによって濃度変化の原因を知ることができると期待されます。
δ18Oatmは、陸と海の生物活動を通じて海水のH2Oのδ18Oよりも約24‰(パーミル:千分率)高くなっており(ドール・森田効果)、数万年の時間スケールでは約1‰(1000分の1)変化することが知られています。現代の短い時間スケールではその変動はわずか0.001‰(100万分の1)のオーダーと予想されており、今までこの微小な変動を観測することはできませんでした。今回、つくば市における10年間のδ18Oatm連続観測データを精査することで、δ18Oatmの極微小変動を捉えることに成功しました。また、生物活動の長期的な変化がδ18Oatmの経年変化に与える影響をシミュレーションによって見積もり、δ18Oatmが気候変動の評価へ応用できる可能性を示唆しました。今後、長期的に観測を継続・展開することで、地球温暖化の緩和策、適応策の立案の上で有用な情報が得られると期待されます。
なお、この技術の詳細は、2025年2月14日に「Atmospheric Chemistry and Physics」誌にオンライン掲載されました。
下線部は【用語解説】参照
※本プレスリリースでは、化学式や単位記号の上付き・下付き文字を、通常の文字と同じ大きさで表記しております。
正式な表記でご覧になりたい方は、産総研WEBページ
( https://www.aist.go.jp/aist_j/press_release/pr2025/pr20250225/pr20250225.html )をご覧ください。
研究の社会的背景
大気成分のうちO2とCO2の変動や収支は、呼吸や光合成といった生物活動、化石燃料の使用などを反映しています。CO2は化石燃料消費により大気に排出されていますが、その年間排出量をはるかに超える量のCO2が、毎年、陸上生物と海洋生物の光合成や呼吸によって大気との間でやり取りされています。それらの光合成と呼吸の量はほぼ均衡していますが、現状では光合成がわずかに勝り、正味のCO2吸収源となって地球温暖化を抑制していると考えられています。O2やCO2の変動は大気や炭素の地球規模の循環を評価するための重要な指標となっており、その変動要因を正しく見積もることで気候変動の予測につながります。しかし、大気成分の濃度の観測結果からはそれがどの活動に由来するかを区別することは困難です。
酸素原子(O)には原子量の異なる数種類の同位体があり、大気中のO2には主として2種類の安定同位体16O16Oと18O16Oがあります。化石燃料の消費においてはこれらが区別なく消費されるのに対して、生物の呼吸は16O16Oを優先的に消費し、光合成は原料の水と同じ同位体比のO2を放出するという違いがあります。そのため大気中のO2のδ18Oatmの変化を観測することによって濃度変化の原因を知ることができると期待されます。しかも、O2はCO2と異なり海洋にほとんど溶解しないため、δ18Oatmは海洋と陸域両方の生物活動を速やかに反映すると考えられます。
古気候学の分野では、極域氷床コア中に含まれる空気を分析することで、δ18Oatmが数万年のスケールで1‰程度変動することが知られており、氷期-間氷期サイクルを含む数万年規模の気候変動を評価する指標として用いられています。一方、現代の大気中におけるδ18Oatmの変動は数時間から数カ月のスケールでわずか0.001‰程度と予想されています。δ18Oatmの変動はその測定値のばらつきよりも微小であるため、これまで観測例がありませんでした。
研究の経緯
産総研では、大気中のCO2濃度とO2濃度の高精度観測を応用して、街区でのCO2排出量の変化を燃料種別に評価する手法や、セメント生産に由来したCO2排出を生物活動などから分離して評価する手法を開発してきました(2020年5月15日、2021年7月30日、2024年2月14日 産総研プレス発表)。また、同位体比質量分析計を用いた大気中O2濃度、CO2濃度、アルゴン(Ar)濃度、O2・N2・Ar安定同位体比(δ18Oatm・δ 15Natm・δ40Aratm)の高精度同時測定装置を開発し、つくば市において連続観測を実施しています。今回、これまで検出不可能と考えられてきたδ18Oatmの極微小変動を捉えるために、つくば市での10年間の連続観測データを精査し、炭素・酸素・水循環の変動の評価への応用可能性を検討しました。
なお、本研究開発は、JSPS 科研費22H05006、23H00513、22H04938、22K14095、環境省 地球環境保全等試験研究費(経1953)による支援を受けています。
研究の内容
産総研が開発した大気中O2・CO2・Ar濃度とδ18Oatm・δ15Natm・δ40Aratmの高精度同時測定装置は、試料導入部内に定常状態で通気させた大気試料と標準ガスのごく一部を、シリカキャピラリーを通じて同位体比質量分析計に導入する独自の手法を採用しています。これにより測定値の時間ドリフトを1カ月以上にわたり無視できるレベルにまで低減したことで、大量データの平均によって測定誤差を大幅に低減し、大気中におけるδ18Oatmの極微小変動を捉えることに成功しました。図1に、つくば市での10年間の連続観測データについて、日内変動成分を季節ごとに平均した結果を示します。図から、δ18OatmはO2濃度と逆位相、CO2濃度と同位相の日内変動を示し、その振幅は夏季に最大となることが見て取れます。このことは、夜間に優勢となる生物の呼吸が、同位体効果により18O16Oに比べて質量数の小さい16O16Oを優先的に消費することで大気中のO2濃度を低下させるとともにδ18Oatmを増加させること、一方、日中に優勢となる光合成で放出されるO2がO2濃度を増加させるとともにδ18Oatmを低下させることと整合します。δ18Oatmの変動要因を組み込んだモデルによる計算結果も、夏季に観測されたδ18OatmとO2濃度の関係をおおむね再現しています。一方で、O2濃度の変動に占める化石燃料消費の寄与が大きい冬季はδ18Oatmの変動が小さく、化石燃料消費の同位体効果が小さいことを示しています。
【画像:https://kyodonewsprwire.jp/img/202502204512-O2-7u1bIG4B】
δ18Oatmの変動が生物活動のみに由来すると仮定して、O2濃度変動に占める生物活動と化石燃料消費の寄与を分離して評価した結果を図2に示します。図から、O2濃度の日内変動の主要因は、夏季には生物活動、冬季は化石燃料消費であることが分かります。このことは、夏季には陸上生物活動が活発であり、光合成と呼吸の日内変動によって極大値が日中に現れること、一方、冬季には陸上生物活動が弱く化石燃料消費の影響が相対的に強まり、かつ気温の低下によって大気が安定化することで、化石燃料消費によるO2濃度減少が夜間の下層大気に明瞭に現れることを示しています。δ18Oatmを用いた手法とは別の評価手法として、陸上生物活動のO2/CO2交換比(–1.1)と、化石燃料消費のO2/CO2交換比として自動車(–1.44)・都市ガス(–1.95)・プロパンガス(–1.67)消費に由来するCO2が共存する時に予想される値を–1.4〜–1.7の範囲で4種類仮定し、O2濃度とCO2濃度を用いて行った分離評価結果も図2に示しました。なお、つくば市では石炭の影響は他の燃料種に比べて小さいものになるため、ここでは考慮していません。仮定したO2/CO2交換比のうち、–1.6および–1.7を用いた場合の評価結果は(緑および紫の線)、冬季・夏季の場合とも、δ18Oatmを用いた手法とよく一致することが分かります。一方、–1.4および–1.5の交換比を用いた場合には(赤および黄の線)、冬季の評価結果がδ18Oatmを用いた手法と一致せず、O2濃度とCO2濃度を用いた手法は評価結果が化石燃料消費のO2/CO2交換比に強く依存することが分かります。そのためδ18Oatmを用いた分離評価手法は、化石燃料消費のO2/CO2交換比を仮定する必要がないという利点があるといえます。図2では10年間の平均的な日内変動を示しましたが、5時間程度のデータを平均することによってδ18Oatmの有意な変動を検出できることも確認していますので、CO2濃度と表裏の関係にあるO2濃度の変動要因の解明を通じてCO2削減の実態を評価するツールの一つとして期待されます。
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図3に、δ18OatmとO2濃度の月平均値の変動を示します。O2濃度は夏季に極大となる季節変動を示しながら、化石燃料消費によるグローバルな大気中O2の消費を反映して経年的に減少していることが見て取れます。一方、δ18OatmはO2濃度と逆位相の季節変動を示しながら、経年的にわずかながら増加しています。そこで、上述のモデルに、過去150年間の気候変動とCO2濃度増加から予測される、光合成の増加、光呼吸の減少(CO2施肥効果)、および葉内水の酸素同位体比の増加を組み込み、δ18Oatmの経年変動のシミュレーションを行って観測結果と比較しました。その結果、δ18Oatmを変動させる各過程の同位体効果として、図に「同位体効果1」として示した論文の報告値を使用した場合には、観測されたδ18Oatmの経年増加を再現することに成功しました。一方で、「同位体効果2」として示した論文の報告値を使用したシミュレーション結果は、観測とは逆に経年減少を示しました。そのため、δ18Oatmの経年変動の議論には、モデルに組み込む同位体効果をより正確に推定することが必要になります。その点が改良された場合には、グローバルな光合成量と、光合成で放出されるO2の原料となる水の循環、およびCO2施肥効果など、気候変動に応答した炭素・酸素・水循環の長期変動を評価する新たな指標として、δ18Oatmの長期観測結果が活用できると期待されます。
今後の予定
今回の結果はつくば市での連続観測による大量データを平均することで得られていますが、今後、国内外の各機関との連携によりO2濃度とCO2濃度を分析しているフラスコサンプリングから得られた大気試料についても、高精度でδ18Oatmを分析する手法を確立することを目指します。これによりδ18Oatmの広域分布を明らかにし、δ18Oatmのモデリング手法も改良して両者を比較することで、δ18Oatmの時空間変動のメカニズムの解明と新たな応用法の検討を進めていきます。
論文情報
掲載誌:Atmospheric Chemistry and Physics
論文タイトル:Diurnal, seasonal, and interannual variations in δ(18O) of atmospheric O2 and its application to evaluate natural and anthropogenic changes in oxygen, carbon, and water cycles
著者:Ishidoya, S., Sugawara, S., and Okazaki, A.
DOI:https://doi.org/10.5194/acp-25-1965-2025
用語解説
安定同位体比、大気中の酸素の安定同位体比(δ18Oatm)
同位体とは同一の原子番号(陽子数)の原子で中性子数が異なる原子核の関係をいい、放射能を持たない同位体を安定同位体といいます。自然界における同位体の存在比を同位体比といいます。同位体比は、そのわずかな変動を拡大して表現するため、以下の式により標準物質の同位体比からの偏差としてδ値で表記します。本研究では、複数の高圧ガスシリンダーに充填した除湿大気を標準物質として用いており、それらのδ18OatmやO2濃度を10年以上にわたって相互比較することで値の安定性を確認しています。
δ = [(R測定試料/R標準物質) – 1]×1000 (‰:千分率)
Rは測定試料および標準物質の同位体比です。本稿で示すδ18Oatmは大気中のO2の安定同位体比であり、以下の式で定義されます。
δ18Oatm = [(18O16O/16O16O)大気/(18O16O/16O16O)標準ガス) – 1]×1000
大気中のN2やArの安定同位体比も同様の式で以下のように表されます。
δ15Natm = [(15N14N/14N14N)大気/(15N14N/14N14N)標準ガス) – 1]×1000
δ40Aratm = [(40Ar/36Ar)大気/(40Ar/36Ar)標準ガス) – 1]×1000
ドール・森田効果
大気中のδ18Oatmが海水のH2Oのδ18Oより約24‰高いことをいいます。この事実は1935年にドールと森田によって独立に発見されました。陸域と海洋の生物が呼吸によって大気からO2を摂取する際に反応性の高い16O16Oが18O16Oよりも優先されることで大気中のδ18Oatmが増加し、一方で光合成は反応に使われるH2Oと同じδ18OのO2を放出することでδ18Oatmの増加を埋め合わせます。ドール・森田効果は主にこのバランスにより決まりますが、光合成によるO2のδ18Oは海水のH2Oのδ18Oと全く同じではなく、16O16Oが18O16Oよりも優先的に蒸発する効果などさまざまな過程が存在し、ドール・森田効果のモデリングにはそれらを全て考慮する必要があります。
同位体効果
ここでは、上記のドール・森田効果で述べた呼吸や光合成のように、化学反応などを通じてδ18Oatmを変化させる効果を指します。同位体効果は、同位体間の反応速度の違いに起因する速度論的同位体効果と、同位体交換反応における平衡論的同位体効果に分けられます。
δ18Oatmの変動要因を組み込んだモデル
大気、陸上生物圏、および海洋をそれぞれボックスと見なして、大気と陸上生物圏の間、大気と海洋の間の呼吸・光合成によるO2の交換量の時間変動とそれらに伴う同位体効果を与えることにより、大気中のO2濃度とδ18Oatmの時間変動を計算するモデルです。陸上生物の光合成の原料となる葉内水のH2Oには、国立大学法人 東京大学・国立研究開発法人 国立環境研究所・国立研究開発法人 海洋研究開発機構が共同で開発した気候モデルMIROC5-isoによる計算結果を用いています。
O2/CO2交換比
大気中のO2とCO2の濃度変動(ΔO2、ΔCO2)の比(ΔO2/ΔCO2)を指します。陸上植物活動、石油消費、天然ガス消費、石炭消費における交換比としてそれぞれ–1.1、–1.44、–1.95、–1.17 の値が過去の研究により報告されています。
光呼吸
光呼吸は、植物が光照射下において通常の呼吸(暗呼吸)と異なる方法でO2を消費しCO2を生成することを指します。光呼吸は周囲のCO2濃度が高くなると減少するため、大気中CO2濃度の増加による光呼吸の減少は、光合成による正味のCO2吸収を増加させ、これをCO2施肥効果といいます。また、暗呼吸と光呼吸ではδ18Oatmに対する同位体効果が異なるため、モデルシミュレーションでは両者を分けて計算します。
同位体効果1、同位体効果2
ドール・森田効果に関わる各種の同位体効果を網羅して報告している代表的な論文として、Bender et al. (1994)およびLuz &Barkan (2011)が挙げられ、ここでは前者の値を「同位体効果1」、後者の値を「同位体効果2」として用いています。両者の主な違いは、「同位体効果2」において、海洋生物の呼吸による同位体効果が「同位体効果1」より大きく、陸上生物の暗呼吸の同位体効果が「同位体効果1」よりも小さいという点です。
Bender, M., et al., The Dole effect and its variations during the last 130,000 years as measured in the Vostok ice core, Global Biogeochem. Cycles, 8(3), 363–376, 1994.
DOI: 10.1029/94GB00724
Luz, B., and Barkan, E., The isotopic composition of atmospheric oxygen, Global Biogeochem. Cycles, 25, GB3001, DOI:10.1029/2010GB003883, 2011.
プレスリリースURL
https://www.aist.go.jp/aist_j/press_release/pr2025/pr20250225/pr20250225.html